STEP65「魔術師と精霊ウルル」
「うわっ、本当に戻って来れた」
見慣れた宮殿の回廊へと戻って来た私は感嘆の声を上げた。なんせ、ついさっきまで妖しのマラガの森にいたんだもの。
「当たり前じゃない」
私の頭上に浮遊している、あのクマの精霊が呆れたように言った。
――私は普段魔法とは無縁の世界で過ごしているんだから驚くって。
鋭く突っ込みを返そうかと思ったけど、喉元の奥へと呑み込んだ。一先ず、この精霊のもつ魔法が本物だとわかっただけでも、心が救われる。色々と突っ込みどころ満載の精霊だけど(まさかオネェのテディベアって……)。
精霊と出会った後、彼……彼女は特に私へ用件を問わず、早速宮殿に向かうと言ってくれた。既にネープルスから話が通っているのだろうか。私が来る事も知っていたみたいだし。
森から宮殿へは行きと同じく黒いモヤモヤの扉を利用した。ゲートに入る前、私はこれまた珍妙なものを目にした。というのも、精霊が何処からともなく、シュピッとあるものを頭上へ翳してきて?
――なんだなんだあれは?
と、私は瞬きを繰り返した。クルクルキャンディのハート型といえばいいのだろうか? そんなものを翳したと思いきや、ハートの先から新体操競技で使われるような真っ赤なリボンがシュルシュルシュル~と姿を現した!
「いでよ! ワープゲート!」
精霊の声が空高く木霊する。え? え? なになになに? と、私は益々と目を瞬かせる。リボンは精霊と一緒にクルクルと綺麗に舞い踊り、徐々に扉の形を作り出したのだ!
――ま、魔法だったのか!
あっという間に黒いモヤモヤの扉が出来上がって、早速私と精霊は宮殿に帰って来たという流れだ。戻って来られたのはいいけど、ここからどうしようか。私としてはすぐ精霊にはジュエリア探しをやってもらいたいのだが……。
「ヒナちゃん」
――え?
背後から名を呼ばれて我に返る。この甲高い男児の声は……。
「ネープルス❤」
私の頭上から黄色い声が上がった。振り返ってみれば、精霊が超高速で羽をばたつかせ、ネープルスの懐にタックルの如く飛び込んでいた。
それから0.1秒後にはチュチュチュッとリップ音のだだ漏れが聞こえてきた。精霊がもの凄い勢いで、ネープルスの両頬にキスの雨を落としていたのだ。す、凄い光景だ!
「相変わらず良い男ね、貴方は❤」
「久しぶり、とっても元気そうだね」
「元気よ~♪貴方に会えると思ったら、元気にもなるわよ❤」
――声がキ、キモイな。
率直な感想だった。若干、自分の顔が引き攣っているのがわかる。いやだってね、精霊の声が私と話す時と違って色声だったから。よっぽどネープルスの事を愛しているんだろうな。ネープルスも笑顔で精霊の相手をしているし。ここでも妙な光景を見させられたわ。
「さてヒナちゃん」
まだ精霊からチュチュッをされているネープルスから話しかけられる。
「よく無事にウルルの元へと辿り着く事が出来たね」
「ウルル?」
――って、なんだ? もしかして?
私はチラッと精霊へと目を向ける。すると彼女と視線が合わさった。
「そうよ、ウルルは私の事よ!」
精霊がドヤ顔で名乗った。なんかそのドヤ顔がいちいち鼻につくな。
「まぁ一言では語れないほど、大変な思いをしましたけど」
私は可愛げのない返答をする。とはいっても、内容は事実だしね。今思い出しても震え上がる。薄気味悪いマラガの森は勿論だが、ジュエリアとルクソールとの出来事。あれは殿下の警告通り、まやかしであったのだろうか。
「マラガの森は別名“惑わしの森”と呼ばれている」
浮かない私の表情を読み取っただろうか、ネープルスが森について語り出した。
「惑わしの森ですか?」
「そう、“絶対に後ろへは振り返ってはいけない。”一見そう難しくない条件であっても、実際は大変だったでしょ?」
「なっ、それはジュエリアとルクソールの事を言っているんですか!」
「う~ん、ボクには君が受けた試練がどんなものかはわからないけど、どうやらジュエリアとルクソール? のまやかしが現れたみたいだね」
ネープルスが私を試したのかと一瞬憤りを感じたが、彼は素で私の苦労の内容がわからないようだった。
「あの、試練ってなんですか?」
「まやかしの幻聴に惑わされるかされないか、惑わされたものは森から出る事を許されない。見事惑わされずに真っ直ぐと進む事が出来たら、精霊に会う事が許されるのよ。実際、99%の人間が惑わされて森から出られないみたいだけど」
これには精霊が答えてくれた。
――ゾッとする。
森から出られないという話は嘘ではなかったんだ。
「何故、試練をしないと精霊に会えないのですか?」
「精霊が人間を好んでいないのよ。だって人間って欲の塊でしょ? 邪心に触れると精霊の聖なる心が穢されそうで嫌なのよ」
確かに、その精霊という生き物は美しいイメージがあるけど、実際目の前いる美しいとは言い難いオネェの精霊もいるしね? にしてもだ……。
「私が惑わされて森から出られたなくなっていたら、どうしていたんですか!」
試練をやり遂げられたから良かったものの、もし惑わされていたら……再び戦慄が駆け上がる。
「う~ん、その時考えればいっかなって」
ネープルスがあっけらかんと答えた。
――うわっ、適当だよ!
「んな安易が許されますか!」
「煩い野犬ねっ」
「だから私は人間だっての!」
ぐぅ! またウルルが余計な言葉を飛ばしてきたよ! どうどう抑えろ抑えろ、自分!
「まぁ、ルクソール殿下の声に助けられて、今ここにいられるわけですし、もうこれ以上ぎゃぁぎゃぁとは言いません」
「ルクソール殿下? なんで殿下なの?」
ネープルスが首を傾げる。そんな反応をされても、私の方がポカンとする。
「殿下の声こそ、まやかしだったんじゃないの?」
「いえ、確かに聞こえましたもん。”まやかしの幻聴に耳を傾けず、真っ直ぐに走れ”という助言をくれましたよ。その声を聞かなきゃ今頃、私は幻聴に惑わされて森の中を彷徨っていたところです」
…………………………。
なんか静かになってしまいましたけど? 珍しくネープルスが思案に暮れている様子で、そんな彼をウルルがキョトンとして見つめていた。
「まぁ、その声の事は一先ず置いておいて、これからの話を纏めておこうか」
ネープルスに笑顔が戻り、話題が変わる。有り難い、本題に入ってもらえるのか。
「そうね。私の手を借りたいという話だったけど、一体どういう事なのかしらね?」
「このコは今、王太子を誑かした魔女の疑いをかけられていて、明日までに本物の魔女を見つけられなければ、二日後に魔女として処刑されちゃんだ」
「このコが魔女ですって? そもそもこのコ、魔力がゼロじゃない?」
「うん、そうなんだよね」
ん? ウルルから言われて気付いた。今更気付いたよ! そうだ、私が魔力ゼロなんて事は調べれば、すぐに分かる事じゃない? それなのに、なんで私はジュエリアの可能性があると容疑にかけられたままなんだ!
「オカシな話でしょ? 魔力ゼロのこのコを泳がせているのが。……それか、元が泳がされているのかもね」
――え? 元が? ……ってなんだ?
ネープルスの言葉に引っ掛かりを感じた。
「元がね~」
え? わかったの? ウルルにはネープルスの言葉の意味が理解出来たらしい。凄い!
「ネープルス、アンタは手を貸してあげないわけ?」
「それが出来るのであれば、わざわざ君に来てもらう必要はなかったよ。ボクは始めから監視をされている」
――それ今日の朝言っていたよね、監視をされているって……一体誰に?
「どのようにして手を貸してくれるのですか? 私には魔法が使えないので、代わりに魔法を使ってくれるのでしょうか? 出来れば怪我をしたら回復、命を落としたら蘇生が出来る白魔法とか、ジュエリアよりも上回る攻撃力の高い黒魔法とかをお願いしたいです」
「ウルルの専門は解除だよ」
ネープルスから予想外の返答をされて、私は面食らう。
「ディスペル?」
――ってなんだ?
聞き慣れない単語に私は眉を顰める。
「ディスペルとは対象の属性耐性を解除する魔法の事だよ」
「えっと、それは……」
ジュエリアに勝てる魔法なのだろうか? あっちは強力な魔法を駆使する魔女だというのに。いまいちディスペルの属性を私はピンとこない。
「白魔法や黒魔法は使えないんですか!」
「ごちゃごちゃと煩いわよ! 魔法を使えない人間がイチャモンつけないで頂戴!」
「ぐっ……」
ウルルから釘を刺され、私は言葉に閊える。
――なんでネープルスは解除専門の精霊を選んだんだ!
もう呼んでしまったものは仕方ない。おまけに時間もないわけだから、話を進めていこう。一つ私には気になる事があった。
「あの、精霊のもつ魔力は強力ではありませんか? その魔力の大きさで、ジュエリアに気付かれるのではないでしょうか?」
精霊と一緒の私をジュエリアが見過ごす事はないだろう。とことん邪魔しにくるに違いない!
「精霊の気は魔女でも感知する事は難しいよ。精霊の力は神力に近い。魔女いえど、ウルルの気も魔力も察する事は出来ない」
ネープルスの答えに私は目を見張った。凄いよね、それ。
「ではそこは気にせず、調査が出来るという事ですね?」
「うん、そこは心配しなくていいよ」
――良かった。
ホッと私は安堵の溜め息を漏らした。
「きっと今、ジュエリアは君が二日後に処刑されると思って、気が緩んでいる頃だと思うよ。その隙に徹底的に彼女を炙り出す証拠を集めておかなきゃね」
「タイムリミットが近いみたいだし、グズグズしていられないわね。早速動くわよ」
ウルルはネープルスの胸元から離れて、パタパタと羽をばたつかせる。
「わ、わかりました、宜しくお願いします!」
私は挨拶をした後、急いでウルルの背中を追った……。