STEP54「もふもふを追いかけて」
思いの外、事はすぐに起きた。
「サアちゃんっ」
――来た、王太子!
フード付きポンチョを羽織ってテーブルの下に隠れていた私はこの時を待っていた! と、言わんばかりに心臓を飛び上がらせた。王太子は食卓の間に入って来るなり、サロメさんの名を声高に叫んだのだ。その声に切迫感が募っていたのを感じた。
きっとつい先ほど、彼はサロメさんの縁談話を耳にしたのだろう。それにしても予想以上の反応じゃない? これはもしかして……。私の胸の内にほのかな期待が生まれる。それから私は神経を研ぎ澄まして耳を傾ける。
「おはようございます、ヴァイナス様」
王太子とは反対にサロメさんの方は落ち着いている。普段となんの変わりもない。昨夜の内に、例の縁談話を聞かされているというのに。今朝のミーティングで殿下からそう聞いていた。
サロメさんが縁談の件をどう思っているのかわからないが、どんな状況に置かれても自分のスタイルを崩さない所はさすがというべきか。それと彼女は縁談話を聞かされた後、今に至るまで王太子とは接触していないそうだ。
その情報は彼女を一晩中見張っていたグリーシァンから聞いた。まぁ、今の王太子の様子を察して接触していない事は一目瞭然か。一先ずここまでは計画通りに事が進んでいる。この後、王太子がどう行動を取るのか。
「サアちゃん、話がある」
「ですが、ヴァイナス様の食事のお時間が」
「食事よりも大事な話だ。今すぐに話がしたい」
――え、直球!?
さすがにこれには私も度肝を抜かされる。王太子の性急な行動は予測とは異なり、動揺を隠せない。予定ではもっと内密にサロメさんとの時間を取り付けるかと思っていた。しかも今すぐに時間が欲しいとせっ突いている。どれだけ王太子はせっかちなのだ。
「承知致しました」
「では別の場所へと移る。一緒に来てくれ」
「はい」
――え? ちょっと待て!
私は焦燥感に襲われる。んな勝手に部屋を出られたら困るよ! これから王太子がサロメさんに話する内容が超重要なのに、それが聞けないんじゃ意味ない。しかし、そんな切実な状況でも事は進んでいく。
王太子とサロメさんの足音が遠ざかっていくではないか。ヤバイヤバイ! 後を追いかけなきゃと気持ちは逸るのだが、室内に人がいる限り、私はテーブル下から出る事が出来ない。ポンチョは気を消せても姿までは消せないのだ。
今回はジュエリアを捕まえられる絶好の機会かもしれないのに、なんて事だ! 機会を逃してここでグズグズしている事しか出来ないだなんて。こんな失態を殿下達に知られたら、なにを言われるか! とはいえ状況は変えられない!
――ど、どうしよう!
「くぅん……」
――え?……今の声って。
背後から愛らしい子犬の声が聞こえた。私にはその子犬が誰だかわかっていたから、すぐに振り返った。
「ル、ルクソール?」
昨夜まで一緒に寝ていたルクソールが立っていた。夜にしか姿を現さない彼が急にどうして? 私が疑問に思っている間に、ルクソールは私の前へと駆け寄って来て、さらに先のテーブルクロスから顔を出した。
「ル、ルクソール?」
躯はまだテーブルの中に入ったまま、私はなにをしているのか彼の後ろ姿を見つめる。すると、彼は顔だけをこちらに向けて尻尾を振ってきた。それはまるで「付いて来い」と、合図を送っているように見えた。
「つ、付いて来いって事?」
私の言葉にルクソールが走り出した。私は中腰の態勢で慌てて後を追う。どうやらルクソールはテーブル下の右端へと向かっているようだ。彼はそこまで到着すると、躊躇いもなくテーブル下から飛び出した。
追いつけてない私は必死で追う。やっと右端にまで着いてヒョコッとテーブルの下から顔を覗かせてみれば、幸いな事に周りに人は通っておらず、数歩先に出入り口の扉があった。その扉の前でルクソールが待機していた。
きっと私が扉を開けるのを待っているのだろう。私は人に見つからぬよう最善の注意を払って駆け走り、ルクソールを抱き上げ、すぐに扉の外へと出た。それからルクソールが私の手元から軽やかに飛び降りて、回廊を駆け抜ける。
――ルクソールは私を何処に連れて行こうとしているの!?
小さな躯といえど、ルクソールの足はとにかく速い! 森を駆け抜ける獣にも負けないんじゃないか。そんな彼を見失わないように走る私は死に物狂いだ。このまま追って良いのだろうか。私には王太子とサロメさんを追う使命がある。
本来ルクソールではなく、王太子達を追わなければならないのに、私には不思議と確信があった。もしかしたらルクソールが王太子達の元へ連れて行ってくれるのではないかと。そんな期待もあって私はルクソールの方を選んだ。
走ること五分ほどしたところで、とある部屋の前にルクソールが立ち止まった。私は息を切らしながら見下ろすと、ルクソールがキッとした鋭い視線で私を見上げていた。訴えるような力強い眼差しだ。
「この部屋を開けろって事ね?」
私の言葉にルクソールは尻尾を高く上げた。どうやら的を射ていたようだ。この部屋になにがあるのだろうか。私はルクソールを抱き上げ、ノブを下に押して扉を開けようとした。
――え?
「開かない」
残念ながらこの部屋には鍵がかかっていた。個人の寝室かまたは執務室や会議室のような重要な仕事部屋なのか。勿論、私に鍵を開ける術はない。立往生をしていると、ルクソールが私から身を乗り出し、ポンとドアノブに手をかけた。
「あ、開いた!」
私がノブに手を掛けた時はピクリとも微動だにしなかったのに、ルクソールが触れただけで勝手に扉が開いた。私が茫然としていると、ルクソールが尻尾で私の腕をポンポンって叩いてきた。中に入れの合図だろう。私は扉を開いて室内へと足を踏み入れた。
――ここは……?
内部を見渡してすぐに気付いた。今は誰の姿もなく、室内は清閑としている。圧迫感のない広々とした室内に設えられた豪華な調度品。この部屋は前にも来た事がある。確かここは……ヴァイナス王太子の寝室だ!
――な、なんで王太子の部屋に!
急に足元が竦む。委縮ってやつなのだろか。
「くぅんっ」
ルクソールが鳴いた。そしてヒョコッと私の腕から降りた。さっきも思ったけど、けっこうな高さから見事な着地を見せるよね。ルクソールはある場所の前をポンポンと叩いていた。
「そこになにがあるの?」
私は急いでルクソールの方へと駆け寄る。
――これはクローゼット?
目の前にはクローゼットのような扉があった。サッと扉を押してみると、きれい左右に開かれていく。中から赤を基調とした礼服がズラリと並んでいた。赫々とした色合いと数の多さに目が眩みそうになる。その時だ。
――カチャ。
出入り口扉のドアノブが引かれる音が聞こえ、ヒヤッとした私は咄嗟にクローゼットの中へと入って扉を閉じた。見つかってならぬと本能的な行動だ。ルクソールも私の足元に隠れている。
――ヤバイッ、見つかったかな。
出入り口の扉を見ている暇はなかったが、扉が開かれていたとしたら、私がクローゼットを閉める瞬間を見られたかもしれない。しかし、室内に人が現われた気配を感じない。私は恐る恐る扉へと耳を傾けた。
――ギィ―。
どうやら出入り口の扉は今開かれたようだ。ホッと私は胸を撫で下ろす。状況的には全く安心が出来ないのだが。
「サアちゃん、縁談を受けるという話は本当なのか!」
――うぉ!
クローゼットの中でも十分に聞こえる王太子の声高。どうやら求めていた人物達が部屋へと入って来たようだ……。