STEP34「もふもふからチロチロ」




 ――ふぅー。

 お風呂に入り、やっと本来の温かさが躯に戻ってきた気がした。私は湯船に浸かり、身を丸くして今日の出来事を振り返っていた。勿論、最初に浮かぶのはジュエリアの事だ。嫌でもフィードバックしてしまう。あの時……。

 「ジュエリアを絶対に捕まえて断罪にする」そう改めて心に誓うと、アイツの存在の怖さなんて吹き飛んだ。切るような視線で宣戦布告を突き付ける私の精鋭な姿に、調子ぶっこいて小躍りをしていたアイツも目が醒めたように動きを止めた。

 …………………………。

 ヤツの顔を見る事は出来ないけれど、アイツも少しは冷静な様子で私を見下ろしているように見えた。こちらの本気を少しは感じ取ったのだろう。牽制し合うように互いをす。

 ――私は絶対に負けない!

 この先にヤツがなにを仕掛けてこようが絶対に回避してみせる。最後にざまぁ返しをするのはこの私だ。ヒシヒシとヤツに本気をぶつけていた。その内にジュエリアの方から、

「フンッ」

 と、つまらなさそうにしてそっぽを向いた。なにも言わずに私に背を向けた事が不気味ではあったが、この後ヤツがどう出るのか、私はジッと注視していた。そこにヤツはチラリと尻目を向けるようにこちらを一瞥し……。

 ――!?

 次の瞬間、私はハッと息を切った。ヤツの姿が陽射しに溶け込むようにして消失していったからだ。息をつく間もない一瞬の出来事だった……。

 …………………………。

 ジュエリアの姿が消え、大間ホールに静謐さが降りた時、私は急に骨が無くなったかのように立っていられず、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。思った以上に緊張の糸を張っていたようだ。

 力が抜けてもまだ震えは止まらなかった。死亡フラグを宣告された時、ジュエリアからなにかされるのではないかと慄いていたのは確かだ。そんな状況でも現実は仕事の続きをしなければならないから、とことん嫌になった。

 ――ジュエリアは一体なにをする気なんだ……。

 近日中に私の身に不吉な事が起きると言い放ち、しかも平然として死亡フラグとかほざきやがった。それはやはり私を手掛けるという意味だろう。そんな事を宣言して私が怯えて過ごす姿をたのしもうという魂胆か。ヤツは悪魔の何者でもない。

 一先ず、この事は翌朝のミーティングですぐに話を出そう。チェルシー様の生い立ち云々なんてものを調べている場合ではない。至急に対策を練ってもらわないと。あーもう、女中の仕事なんてしてる場合じゃないっての!

 ヤケクソになった私は急いで湯船から上がって脱衣室へと向かい、ババッとバスタオルで躯を拭いて寝巻を着る。そして寝室へと戻るとすぐに寝台ベッドに入り、壁に背をもたれて天を仰ぐ。

 ――やっぱジュエリアはチェルシー様のような気がする。

 今朝ミーティングをして、ほんの暫くしてジュエリアが現れたのだ。ミーティングの内容が内容だけあって、あまりにタイミングが良すぎる。何処で聞きつけたのかは謎だが、急に行動を起こしたという事はヤツにとっても、なにか不都合が生じたのか。

 流れからしてやはり私達がジュエリアの正体に行き着いたというところではないだろうか。あの余裕の裏には焦りが隠されていて、強行突破を目論んでいる。そして今日もチェルシー様の嫌がらせが当たり前のようにあった。ジュエリアとして現れた後に、平然として私の目の前に現れるヤツの神経は異常すぎる。

 ――明日からなにがなんでも、チェルシー様の監視を徹底してもらわないと。

 これで何処かで彼女が尻尾を出してくれればいいのだけど。にしてもヤツは私にとってはガチに魔女だ。逆光の光りに吸い込まれるようにして姿を晦ました。魔法と言えば、あの占い師で目にした事はあったけど、それでも生の魔法には心底ビビる。

 そんなヤツを相手に無力の私になにが出来るのだろうか? 今更だが対抗出来る魔力がろくにないのに、ハイレベルな魔女を相手にするのってオカシイよね? いや、最初からオカシイとは思っていたけど、改めて考えれば無謀すぎる。

 どうして殿下は私にジュエリア探しを託したんだろう? 本当は私が一番ジュエリアの可能性があると思っているから? それともジュエリアでなくても、名も知れてない私なら命を落としたとしても周りになんの影響もないと思ったから?

 ジワジワと押し寄せる不安の波風。殿下に限ってそんな考えをされる方ではない……そう思いたいのに、死の宣告を受けた私には不安の感情しか湧いてこない。でも顔をフルフルと振って、なんとか考えを払拭しようとした。

 ――殿下だけは疑いたくないよぉ。

「ルクソール……」

 殿下と言葉を続けようとしたのだが、抑揚のない声によって言葉はあっけなく空中へと消えていく。

「……くぅん」

 ――え?

 切なげな鳴き声を耳にし、ハッと意識が現実へと戻る。目の先には愛らしい子犬のルクソールの姿があった。カーペットの上に立ち、私を心配そうな眼差しで見上げていた。

「ルクソール……」

 さっきまで姿が見えなかったけど、いやもしかしたら私が考えに没頭していて気付かなかっただけなのかも。

「ごめんね、ルクソール」

 私は急いでルクソールを抱き上げ、寝台へと腰を掛ける。いつもなら真っ先にルクソールが来ていないか確認をするのに……。罪悪感に似た感情が胸いっぱいへと広がり、心が締め付けられる。

 ――あぁ、私はなにをやっているんだろう。

「本当にごめんね」

 もう一度謝りの言葉を口にした時、ポロリと頬に涙が伝った。

 ――え?

 自分でも驚いた。ルクソールを粗末な扱いをしてしまったショックやら、今日の出来事でいっぱいいっぱいになっている自分の不甲斐なさやら、色々な感情が溢れて心が爆発してしまったんだと思う。

 …………………………。

 私の情けない姿を前にしているルクソールは片時も視線を逸らさず見ている。明るさだけが取り柄な私が、こんな姿で彼もなんて反応をしたらいいのかわからないのだろう。そう思っていた時……。

 ルクソールが私の手から離れた。その代わり私の手の甲をチロッと舌で舐めて、何度かチロチロを繰り返し、それが大丈夫だよって慰めてくれているように見えた。そのとんでもない愛らしい姿に私は余計に涙ぐむ。

「有難う。アナタなりに慰めてくれて」

 私はお礼を伝えると、ヒョコッとルクソールを持ち上げ、また膝の上に乗せた。

「今日はまた色々とあってね……」

 ルクソールはすぐに反応を見せた。私のお腹の辺りを手でポンポンと軽く叩く。これはなにがあったのか訊いているとみた。

「今日、ジュエリアが現れたの」

 そう私の言葉を耳にしたルクソールの眼光が鋭くなる。そのまま私は胸の内にある思いを語り出す。

「近日中に私に良からぬ事が起きるって宣言していたの。それも死を匂わす言い方だった。思うに私や殿下達がジュエリアの正体に気付いた事を何処からか嗅ぎ付け、焦ってまたとんでもない事を考えたんじゃないかと思う」

 今回は死亡フラグの宣告を堂々としてくるなんて狂気に孕んでいる。

「明日のミーティングでグリーシァンとアッシズの二人には報告して、なんとか対策を立ててもらうつもりだけど、相手がチェルシー様だとしたら、かなりの至難だよね。今日もジュエリアとして現れた後、チェルシー様の姿で私をイビリに来ているんだもの。あんな自由奔放に行動が許されている人だから、グリーシァン達が上手くあの人に規制をかけられるかが心配で」

 私はおのずと顔が俯く。さすがに今回の事でグリーシァン達がチェルシー様をなんとかしてくれるとは思うけど、その保証も百パーセントではない。

「向こうがなにか仕掛けて来る前に捕まえられればいいんだけど。この先なにをされるのか怯えていなきゃならないのが辛いよ。でも却ってジュエリアを捕まえられるチャンスになればいいなって思っているんだ」

 そう前向きに考えなきゃやってらんないよ。相手が一国の姫君という事もあって相当な慎重さが必要だ。こちらも計画的に行動しなければならない。ジッと考えに浸る私を黙然として見ていたルクソールから、またまたお腹をポンポンとされる。

「ルクソール?」

 「心配するな」「大丈夫だ」と言われているみたいだった。それがまたすこぶる可愛らしさで、私はすぐさまルクソールを持ち上げ、ギュッと懐に抱き締めた。

「いつも有難う。アナタの応援もあるし、私は絶対にジュエリアを捕まえるからね」

 ルクソールから人肌のような温もりが伝わってくる。とても安心の出来る熱で、私はこのまま眠りに誘われるように微睡んでいった……。





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