STEP33「ジュエリアからの予言」
――ドガッ!
落とした吸引機の音が静寂としたホール全体へ響き渡る。質量感がなくなった手の平からは光が漏れており、それを目にした私は全身の神経を研ぎ澄ます。手の平に浮かび上がる刻印は紫色に近い赤い花。見るからに魔力の大きさを感じ取った。
――ジュエリア……。
再び心の中でその名を呼ぶと、フッと陽光の一部が遮られ、大理石の床に翳りが帯びる。人の気配を感じた私は目線を上げた。
――ドクンッ!
中二階ほど高さの測廊から、私が立つ大理石の床を見下ろす人物がいる。測廊の壁に嵌め込まれたステンドグラスから差し込む陽が逆光となって眩しく、相手の顔はわからない。でも私にはその人物がジュエリアだと確信する。
第六感が剣呑であると身を震わせているからだ。なんでまたヤツが現れる?私は警戒心を剝き出しにさせる。殺気立つ私と違って相手は平静のように見えた。あの高さからでは私が手足の出しようがないと余裕を醸し出しているのだろうか。
…………………………。
くっ! なにも声を掛けて来ないのが不気味で極まりない。いつもの私なら怖いもの知らずに噛み付くのだけれど、今は声すら発せない。それはここ数日間で与えられた精神的な疲れが原因か、それともリアルな刻印の色を目にして怖気づいてしまったのか。
そもそもヤツ自身は得体の知れない存在だ。今更ながら私は恐怖心を抱いて躯が打ち震える。情けない。アイツの前だけは弱い姿なんか見せたくない。ヤツを喜ばせてしまうだけで格好がつかないもの。
「あらあら久しぶりの再会だというのに、今日は歓迎の言葉がないのね?ふふふっ」
無駄に鼻にかかった甘ったるい声が響く。この声はやっぱりジュエリアだ! 私はなにも返さず、警戒心を強めてヤツを睥睨する。
「本当に今日は一段と可愛げがないのね~」
ヤツは腕を組み、溜め息交じりに言葉を吐く。いつもに増して余裕綽々とした声に、私は不快感を覚える。その苛立ちからか、
「ジュエリアね! また私の前に現れてなんの用よ!」
ようやく返しの言葉を投げかけられた。でも強がっているような声色に自身の情けが深まる。
「無駄な私探しの方は順調かしら?」
ジュエリアは明らかに小馬鹿にした口調で問う。
「そんなん私を監視しているアンタなら、訊かなくてもわかるでしょ!」
「さぁ?どうなのかしらね~」
わざとらしい! ここで脳裏にチェルシー様の顔が浮かんだ。目の前のヤツがチェルシー様であれば、散々私を甚振って弄んでいるのだから、愚問のなにものでもない。
「もう気が付けば十日は経ってしまったわね~。どう?今の心境は?良い情報は得られたかしら?」
「…………………………」
良い情報だと?なんでそんな問いかけをしてくる?私がチェルシー様の名を出すのを待っているのか。これはなにか意図的な質問だろうと推測する。
「良い情報を得ていたとしても、本人を目の前にして答えるかっての」
「別にここで得た得ないと、どちらを答えようとも、貴女が私を捕まえられない事には変わりないわ」
「有力な情報を持っていると言ったら?アンタ近い内に捕まるかもしれないのよ?」
「それはどうでしょうね~?」
逆光で顔こそ見られないが、ヤツが明らかに嘲笑っているのが目に見えるようだった。まるで私が空回りでもしていると言わんばかりに、様子を楽しんでいるようだ。
「なにがそんなに可笑しいのよ!」
ヤツの挑発だとわかっていても、どあったまにきた私は感情に身を任せてしまう。
「そりゃぁ可笑しいわよ」
ジュエリアは手すりに腕をついて身を乗り出す姿勢となる。
「どんなに頑張っても貴女には私は捕まえられない、だから私の正体は暴けない、絶対にね。ふふふふっ」
ジュエリアの高笑いが大間を震わせるように響き渡る。どうしてこうもヤツは余裕でいられるのだろうか。突き止められる恐れから強がりを見せているのだろうか。あれが演技であれば、ヤツは女優レベルだ。
「この十日間、貴女の無駄な頑張りで、私は随分と楽しく過ごさせてもらっているわ」
「!」
無駄な頑張りだと! 私は胃の中に抱えているムカつきをすべてヤツにぶちまけそうになった。この十日間、私は血眼になってヤツを探していたのだ。それを無駄だと言いやがった! 私がどんな思いで過ごしていたか。
やってもいない罪を理不尽に被せられ、無実だと証明する為に、アイツをとっ捕まえなければならなくなった。元の自分の世界とは結びつかない仕事をしながら、このバカ広い宮殿で魔力をもつ人間を探す。
それだけでも大変なのに、チェルシー様からとんだ嫌がらせまで受けて、どれだけ精神的に参る苦労をしているか。それをコイツは楽しく眺めていただと! 今、目の前にジュエリアがいたら、間違いなく手を掛けてしまいそうな黒い感情を抱く。
「ふふふっ、そんな怖い顔をしないでよ。今日、私が現れたのもちゃんと理由があっての事なんだから」
「アンタの理由だなんて全く期待出来ないんでしょうね」
一層アイツを無視して、この場から去ってやろうかとも思った。……いやダメだ。少しでもアイツから情報を得るのも大事だ。沸き立つ怒りの渦に呑まれていようとも、私は必死で理性を引き戻す。
「これは予言よ」
「は?」
思わず声を上げてしまった。なんだ「予言」って?またトンチンカンな事を言い出したと私は顔を顰めた。
「これからもっと面白い出来事が起こるわよ。それを考えると、私は胸が躍るように弾んで、思わずまた貴女の前に姿を現しちゃったってわけ」
――超意味不明。
それは初めからわかっていた事だけど、実際に耳にすれば後悔の念が半端ない。ただ言える事はアイツにとって面白い事は私にとってはムカッ腹の立つ事でしかないって事だ。なにか良からぬ事を考えているのだろう。
「近い内にそれは起こるわよ。その時にどういう状態が生まれるかしら。もしかしたら貴女、私を捕まえる前にTHE ENDを迎えるかもしれないわ」
「は?」
なんだ、その死の宣告は! コイツ、やっぱり自分の正体がバレそうで焦って私を早く始末しようとしているんじゃ!? そう推測した時、ヒヤリと背筋に悪寒が走った。ただでさえ、殿下との約束の日まであと二十日しかないのだ。それよりも早まるだなんて冗談じゃない!
「これは死亡フラグのお・知・ら・せ。気を付けるのよ?あ、私の親切心に感謝しなさいよ、ヒ・ナ♪」
「……っ」
悍ましい。只々悍ましいとしか言いようがない。なにがヒナだ! ヤツに名前を呼ばれるだけで殺意を覚える。気安く呼ばれてたまるか!
「見てなさい、ジュエリア! 私はTHE ENDを迎える前に絶対にアンタをとっ捕まえて断罪にしてやるから!」
カッと頭の中でなにかが弾けた私はジュエリアに向かって宣戦布告をしてしまっていた。でも後悔はしていない。好き勝手にフラグを立てられて、これ以上好き勝手に踊らされてたまるか!
「あらあら、それはそれは楽しみね❤ どちらが先にBAD ENDを迎えるのか、今後の楽しみにしましょうね~♪ふふふっ」
ジュエリアはきゃきゃっと喜々としてはしゃぐ姿を見せる。合わせて大理石に反射する影が踊って不快極まりない。絶対に自分は終わりを迎えないと躯全体で表しているのだろう。
――必ず私がその余裕をへし折ってやるんだから!