STEP16「殿下に婚約者!?」
「大まかですが、このような感じです」
「このような感じと言われましたが、私にはとても覚えられる自信がありません」
「駄目ならば、クビになるだけですから」
「うっ」
――なんちゅー止めの一言をこの人は!
私はガックリと項垂れそうになる。……さて、とある宮殿のとある一室の事。今、私がなにをしているかというと、早速例の女中の仕事へと入り、目の前のベテラン侍女さんに一通りの内容を教えてもらっていたところだった。
会話の内容を聞いていてわかるかと思うけど、仕事に関しては容赦ないハイクオリティである。まず、この宮殿には女性の使用人は「侍女」と「女中」の二種類に分けられる。
侍女は化粧、髪結い、服装・装飾品・靴などの選択、衣装の管理、そして、その他全般の買い物など、いわば女主人の補佐役だ。(ちなみに男性主人は男の使用人のお仕事)
んで私がやろうとしているのはもう一つの女中の仕事。女主人の居室とは離れた持ち場で掃除・洗濯・料理をこなす総称的な内容だ。これがまたねー、凄まじくわからない。だってこっちの世界の道具って、日本とは全く異なるんだもん!
掃除一つでも、箒も塵取りといった道具は使わない。まずは粉洗剤といったものを手の平に乗せ、息を吹きかける。すると、それがふわりと宙に広がり、壁や天井に張り付く。浸透していくと、汚れの濃度によって色が分けられ、汚れの酷いところから落としていく。
その落とし方もおったまげ! 霧吹きスプレー的なものがあり、レバーを押すと、もっこもこの泡が出てくる。(量は調整が出来る)その後、掃除機的なもので泡を吸い上げる。ちなみにその掃除機、泡のみしか吸い込まない専用のセンサーが付いているらしい。
仕上げは最初の粉洗剤とはまた違う粉を吹きかけ、香りの良いミストを広めて終わり。これは芳香剤のようなものかな。と、掃除でこれだけ現実世界と違うってのに、洗濯、料理、その他雑用といったものまでやらなければならない。
極めつけはこの宮殿がここぞとばかりに広すぎて気を遠くさせる。何百どころか何千とある部屋の数で、正直地図でもないと迷うレベルなのに、すべてのルートを頭に叩き込まないとならない。
――はっきりいって無理だ。でもやらなければ、私は処刑される!
このやるせない気持ちを何処にぶつければ良いのさ!
「初っ端から自信ないはありませんよ。そのような言葉が出て来るなんて、何故貴女がここで働こうとしているのか、理解が出来ませんね」
好きで働くわけじゃないんすよ~。こっちは命が懸かって仕方なくやる事になったんだからさ。目の前の侍女サロメさんに容赦ない嫌味を言われ、モチベーションが下がりまくり! ベテラン侍女とは聞いているけど、こうも難癖があっては手厳しい。
それにこのサロメさん、こういっちゃ悪いんだけど、見た目からしてキョワイだよね。なんていえばいいのかな、うーん、ホラー的っていうの? 初めて目にした時に思わず、
「ぎゃっ、幽霊が出たぁああ!!」
って叫声を上げたのも、彼女が私に厳しい原因の一つかもしれない。いやだってね、彼女、妙に躯が細く血の気引いていて顔色も真っ白だし、表情ものっぺらぼうのように全く変わらないし、声もか細くて抑揚がなくて、生きた人として見るにはちと難しいレベルなんだもん。
「それと貴女、根本的に女中としての礼儀がありません。言葉遣いも作法も砕け過ぎていて、それでは仕事を覚える前に、誰かの怒りを買ってクビになる方が早いでしょうね」
「そこをなんとかして下さい!」
「そのままの言葉をお返しします」
「ひぃ~」
なんとかしなければ、私の命が! マジこれじゃ仕事を覚えるのがやっとで、とてもジュエリアを探すなんて無理だよぉー。あ~、グリーシァンから鼻で笑われる姿がチラつくし、腹立たしいわ! 私はすぐにでも叫びたい衝動をグッと堪えていた。
――あーガチ泣きたい。
私はションボリと顔を俯く。ふと目に見える女中の制服。これは可愛い。ブラウスの各襟にはヒラヒラのレースが付き、中央には水色のスカーフリボン、その上にベストとスカートが対になったタータンチェック柄のワンピを着ている。
最後に真っ白なエプロンは舞い踊るようなフリルがあしらえていて、乙女心をくすぐる。こんな可愛いのを汚すのもなぁと引け目を感じるけど、すべて防汚素材となっているんだよね。これだけが唯一、仕事で心がウキウキ出来る事かなぁ。
――嘆いていても先には進めない。
時間も一ヵ月間と限られているんだし、出来る限りの最善を尽くそう。
「頑張りますので、どうかお手柔らかにご教示お願いします」
一先ず私は気持ちから入れ替え、しおらしくサロメさんにペコリと頭を下げた……。
❧ ❧ ❧
「どわっ」
とあるテラスに出てすぐの事だ。目の前にバサバサバサと翼が羽ばたくような音と同時に、風圧が押し寄せてきて、一瞬視界を遮られた。
――な、何事だ! ……うわっ、なんだアレは!?
瞼を開くと、あんぐりと口が塞がらなくなった。目の前である何かが光を宿して空高く扇状の形を作って回っていた! 何枚ものトランプカードが空中で扇形を作っているようだ。
――マジックショーか!
目を凝らせて見てみれば、回っているのは封書のように見える。
「あぁ、すまない。驚かせてしまったな」
前方から声をかけられ、人がいた事に気付く。その甘い美声に私の耳は傾いた……が、すぐにしかめっ面に変わる。相手があの魔術師のグリーシァンだったからだ。
「って君だったのか。なら別に良かったな」
「はい?」
――なに今の、君だったからいっか的な?
私なら失礼をしても構わない相手だったねって意味に聞こえたんですけど? グリーシァンと視線が合わさると、さっきまでクルクルと回っていた何通もの封書が、ヤツの手の中に落ちて綺麗に収まった。
それからすぐにヤツの前に、青藍色の鮮やかな飾り羽を扇状に開いた大鳥が現れた。あの鳥はどっから現れたんだ! クジャクに似た美しい鳥の口ばしに、グリーシァンは幾つかの封書を挟んだ。
「これは不要だ。持ち主に返してくれ」
「キーオウ、キーオウ」
大鳥はグリーシァンの声に応えるように奇声を上げると、口に挟まれていた封書がキラキラと煌き、流れるようにして美しい羽の中へと溶け込んでいった。
――え? え? なに今の?
私が目を瞬かせて驚いている間にも、大鳥は翼を大きく羽ばたかせて空高く飛び去って行った……。
――ポッカーンだよね?
「なに今の大鳥は?」
私は無意識の内に呟きを零していた。
「なにって伝書鳥だけど?」
私の呟きを拾ったグリーシァンが、そんなのも知らないのかと蔑んだ顔を向けて答えた。私は眉根を寄せてヤツを軽く睨む。
――伝書鳥って私の世界でいえば、郵便のような役割をしているって事か。
「そうですか。じゃぁ、その手にしているのは手紙ですか?」
「そうだけど」
グリーシァンめ、いちいち面倒くさそうにして答えるなっての!
「なんで空に向かって封書を躍らせていたんですか?」
「宮殿に届けられる手紙に不審なものがないかチェックしていただけなんだけど?」
「そうですか」
さっきの芸は魔法の一種だったのだろう。空中で封書を躍らせながら、怪しい手紙がないかチェックをしていたのか。まさにマジックショーのようで驚かされたわ。
――にしてもな……。
チラッと私はグリーシァンに目を向ける。ヤツは月の化身みたいに神秘的で透明感のある美形なのにね。陽射しに照らされた雪のように輝く長い銀髪と、生まれたての赤ちゃんのように艶やかな肌、均整の取れた目鼻口は手に触れる事すら恐れを感じる完璧な形。
誰しも惚ける美貌もすべてヤツの毒舌によって損なわれているんだけどね。客観的に見たら、完璧でも主観的にノーなのだ。とはいえ、貴重な美形であるの事には変わりない。そもそもこの世界が美形しかいないであろう説は崩れている。
あの王太子を見てなんとなくわかってはいたけど、今のところルクソール殿下、目の前のグリーシァン、そして騎士のアッシズ以外に飛び抜けた美形を目にしていない。使用人さんとか他の男性は至ってノーマルな容姿の人ばかりだった。
「なにさっきからガン見してきて。まさかオレの顔に惚けてたの?」
「んっな事あるかい! 今のは自意識過剰な思い込みですから!」
「そう?」
悪素振りの様子も見せないヤツの態度にイラつくな! どうやらヤツは自分の顔の良さを十分に理解しているとみた。普段、女性からチヤホヤされているんだろうけど、私は全く興味がないっての!
「ねぇ、君ってさぁ」
「なんですか?」
なに急に意味深な口調で話しかけて? つぅか、君じゃなくてちゃんと名前で呼んでくれっての。
「前から薄々と勘づいてはいたけど、ルクソール殿下の事、慕っているよね?」
「!?」
グリーシァンから思いがけない言葉に、私の心臓は大きく跳ね上がり、顔に一気に熱が集中する。
――ヤダ、今絶対に顔が真っ赤になってる!
ヤツにこんな顔を見られたくない。私はグリーシァンから顔を背けた。
「やっぱ図星?」
「…………………………」
確信に迫るヤツだけど、私には、んなの答えられるわけがない!
「残念だけど、殿下には婚約者がいるから諦めた方がいいよ」
――え? 今、なんて?