番外編⑤「の決意」―ルイジアナ視点―




 私はヒヤシンス国宮殿の寝室で夜着に着替え、就寝の準備に入っていた。室内はバーントシェンナ国とは全く異なる。何重もの漆塗りがなされた格式のあるデザインは混色よりも原色が多く利用されている。初めて目にした時は別世界に来たように思えた。

 現状、私はヒヤシンス国へ後宮入りした身である。なんとなくだが窓の外を眺めていた。温暖化のバーントシェンナ国とは違い、ヒヤシンス国はわりと天候が崩れる。この日、雨は降っていなかったものの、夜空は分厚い雲に覆われていて、星の姿は全く見えなかった。

 ビア王からヒヤシンス国への後宮入りが認められ、私はその事をいち早くお父様とお母様にお伝えをした。案の定、お父様達は言葉を失い、すぐに猛反対なさった。バーンシェンナ国の人間は他国の印象を良く思っていない。

 このヒヤシンス国は愛国心が強く閉鎖的で、他国の人間に対して冷たくあしらうイメージをもっている。そんな国に私が嫁いでも、幸せは望めないだろうと深く嘆かれた。

「何故、ビア王の元なのだ! まさか脅されているのではないのか!」
「そのような事はございません。ビア王に対する屈辱のお言葉です。お控え下さい」

 私は怒気を孕んだ瞳を向けて答えた。お父様達は王の人柄を勘違いなさっている。

「そんな事がキール様やアイリッシュ様が、お許しになるわけがないであろう!」
「わかっております。私の口から話を致しますので、お父様達からは決してお話をなさらないで下さい」

 キッパリと言い放った私はその日の内に宮殿から立ち去った。キール達に話せば、なにがなんでも私をヒヤシンス国へは行かせないだろう。それに、お父様がそう何日もの間、キール達に黙っているようには思えなかった。

 彼等への信頼関係を崩す事になるからだ。そんな危険を犯すぐらいなら、お父様は一早く話をしてしまうに違いない。だから私は思い切った行動を取った。誰の許可もなしにヒヤシンス国へ後宮入りをする事だった。

 ――私がヒヤシンス国に着くまで、どうかキール達に事が知られませんように。

 私はひたすらヒヤシンス国へと向かい、三日後には王宮に辿り着く事が出来た。本来、王からのお迎えがあって後宮入りをするのが一般的だが、私にはそんな余裕はなかった。

 私がバーントシェンナ国から離れて四日は経つ。既にお父様だけではなく、キール達にも気付かれているだろう。私はその事を思うと、ズッシリとした鉛を背負っているような気分になった。

 私はバーントシェンナ国を捨てて、ヒヤシンス国へと嫁ぎに来たのだ。なにも言わず出てきてしまい、国に対する完全な裏切り行為である。なにより愛し合っていたキールへの大きな裏切りだ。彼の事を思うと、私は酷く胸が締め付けられた。

「?」

 物思いに耽っていたのだが、ハッと我に返る。なにやら急に部屋の外が騒がしくなった気がする。人の叫び声とバタバタとした靴音が響いている。

 ――なにかあったのかしら?

 私は部屋の扉を開けて外の様子を窺ってみた。すると数人の兵士達の荒げた声が響く。

「何事だ!」
「それが一人の若者がこの王宮に乗り込んできました! どうやら術者のようです! 何百といる兵士達を相手に、宮廷内を攻めて来ております!」
「相手の要求がはなんだ!」
「そちらがルイジアナ妃に会わせろとの事です」

 ドクンッ! と、じかに心臓を打たれような衝撃が走った。

 ――まさかその若者って?

 私はヒヤリとした汗が滴る。脳裏にある人物の姿が思い浮かんだからだ。

「隊長! 若者がこちらに奇襲して来ます! その若者は恐れ多くもバーントシェンナ国のキール王のようです!」
「なんだとぉ!?」

 私は蒼白となった。まさかここまでキールが追って来たというの!? しかも正式に訪れて来たのではなく攻めに来た? 私は心臓が爆音を上げ、今すぐにでも気絶しそうな目眩に襲われる。

 ――倒れている場合ではない! でも今はキールと話をしたくない!

 私は部屋から逃げるように、回廊へと走り出した。ところがそこにだ。

「うわぁ! キール王、落ち着いて下さいませ! まずは我が王と話し合いをされてから……」

 ――え? キール王?

 私は反射的に振り返った。刹那、躯が硬直する。

「キール……」

 既に数十人の兵士を取り押さえているバーヌースの衣装を身に纏ったキールの姿を目にしてしまったのだった……。

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

「ルイジアナ、何故ヒヤシンス国に嫁ぐ事になった? そして何故、オレに相談なしにバーントシェンナから出たんだ?」

 私を連れ戻そうと来たキールはグッと感情を抑えているが、表情はとても険しかった。

「……………………………」

 私は答えられずに顔を伏せてしまう。さっき、キールと鉢合わせしてしまった私はその場から逃げる事は出来ず、そのままキールに部屋へと連れ込まれてしまった。ベッドに腰を下ろされ、その前にキールは膝をつき、私を見上げて質問を繰り返す。

「ルイジアナ、さっきから何故黙っている? 答えられない事を抱えているのなら、オレに話をしてくれ。オマエ一人に背負わせていたくないんだ」

 険しかったキールの表情が今にも泣き出しそうな切ないものへと変わり、私はますます口を開く事が出来なくなった。

「リキュール氏から聞いた。オマエ、もしかしたらビア王に脅されているのか? 嫁ぎに来なければ、バーントシェンナに戦をかけるとでも言われたのか? それを避ける為に、自身を我慢しているというのか? だったら心配するな、オレは…」
「そんな事はないわ! ビア王を悪く言わないで!」

 キールの勝手な言葉に、私はずっと閉じていた口から大声を上げた。キールは瞠目し、翡翠色の瞳を大きく揺るがせた。

「ルイジアナ?」
「キール……ごめんなさい。もう決めた事なの。私の事は忘れて欲しい」
「そんな事出来るわけないだろう!」

 普段声を荒げる事のないキールから怒鳴られ、私はビクッと躯が強張って瞼を閉じてしまう。さらにキールは私の肩に両手をかけて引き留めに入る。

「オレとオマエは愛し合っているんじゃないのか!」
「……っ」
「それなのに急に忘れろと言われて、納得するわけがないだろう!」
「キール、アナタは私がいなくても、アイリやシャルトといった心から、アナタを愛してくれる人達が沢山いるわ」
「ルイジアナ?」
「でも……」

 ビア王に心の底から愛を与えられるのは私しかいない。だから私はビア王の元を離れるわけにはいかないのだ。

「キール、ごめんね。本当にごめんね」

 私は込み上げてくる感情から、涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。私には泣く資格はない。そんな揺るがない私の気持ちにキールは、

「キール?」
「ルイジアナ、お願いだ。オレの元に帰って来てくれ。オレはオマエを愛している。オレが生まれてきた時から、ずっと一緒だったじゃないか。今更オマエのいない人生なんて気が狂いそうだ」

 美しい翡翠色の瞳が熱く潤み、そして頬へ涙が伝った。その姿を目の当たりにして、私も堪えていた涙がボロボロと零れ落ちた。キールは幼い頃に泣いている姿を見た事があっても、ここ数年は目にしていなかった。

 唯一、先代の王とお妃様が不慮の事故で亡くなられ、身を隠しながら泣くキールを見た時、アイリやシャルトとキールにニ度とあんな思いをキールにさせないと、固く約束をし合った。

 それなのに数年後、まさか自分がキールにそんな思いをさせてしまうなんて。彼はなにも悪くない。こんな酷い裏切りをした私に戻って来て欲しいと、そしてまだ愛しているとも言ってくれている。

 私はこんな寛容の王を裏切った愚かな人間だ。キールの元にいれば、きっと一生涯、温かな愛に包まれた人生が送れる。だけど、それでも私はキールの手を取る事が出来なかった。私はキールを悲しませても、ビア王の元から離れたくなかった。

「キール……本当にごめんなさい」

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

 キールがヒヤシンス国を攻めて来たあの日から、数日が経った。あの日、最後まで意思が変わらない私を無理矢理に連れて帰ろうとしたキールに、私は頑固して残る態度を示した。途中ビア王が介入し、キールは酷く激高して修羅場になりかけたが、それをなんとか防いだ。

 それから数時間の話し合いの結果、ビア王が私をなんの目論みなく妃に迎えると言い切り、それに私も深く頷き、その私達の姿を目にしたキールはそれ以上なにも言わずに、バーントシェンナ国へと戻って行った……。

 今、思い出しただけでも、グッと涙が込み上げてくる。今更後悔しても遅い。いえ、私は後悔などしていない。何故なら私自身が決めて起こした事なのだから。この国で身を固める覚悟だ。

 ――コンコンコン。

「?」

 出入り口の扉がノックされる。

「はい」

 返事をすると、すぐに扉が開かれる。

「ルイジアナ妃、恐れ入りますが、お客様がいらっしゃっています」

 扉から姿を現した位の高い侍女さんから用件を伝えられる。

「お客様? 私に?」
「はい」
「どなたかしら?」
「バーントシェンナ国、アイリッシュ様と窺っております」
「アイリが?」

 私は息を切る。アイリとはもう数週間、顔を合わせていなかった。キールがここに来た時、彼は一緒ではなかった。私が困惑した様子をしていると、

「いかがなさいますか?」

 侍女さんに催促され、私は覚悟を決める。

「会うわ。連れて行って」

 ――数十分後。

「本当にヒヤシンス国の人間になったんだね」

 私の姿を見るなり、アイリは冷ややかな眼差しを向けて言った。私の服装が小袖背子シャオシュウベイズーという民族衣装を着たのを見たからだ。畏まった礼服を着たアイリは相変わらず美しい風貌をしていた。

 あんなに慣れ親しんだ仲だったのに、他人行儀の雰囲気に、私は正直淋しさを感じていた。そして私はアイリと対面に座った。テーブルの上にはヒヤシンス国で有名なお菓子とお茶が並べられている。

「アイリ、今日はどうして?」

 彼からの厳しい視線に居た堪れなくなった私は自ら話題を振る。

「単刀直入に訊くよ。もうバーントシェンナ国に戻る気はないんだね?」
「えぇ、私はもう事実上ビア王の妃になったわ。戻る気はない」
「そう。じゃぁ、もしバーントシェンナ国とヒヤシンス国が戦争にでもなる事があったら、君とは完全に敵同士になるという事だね」
「え?」

 そんな事、考えた事もなかった。そもそも戦争なんて有り得ない話だ。あってはならないもの。

「急になにを言い出すの?」

 私はハッとする。アイリからの胸を突き刺すような視線を向けられ、その瞳の奥で私を完全に敵として捉えている。彼はキールに、いやロワイヤル家に対して忠実な臣下だ。異常なぐらい慕っている。そのロワイヤル家から離れた私を彼は許せないのだ。

 例え、キールが私を許したとしても、彼は一生、私を許さないだろう。あれだけにこやかに微笑んでくれていたアイリとの思い出も、この日を境になくなった。私はここに嫁ぐと同時に大事なものを無くしていくのだと、改めて実感せざるを得なくなった……。

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

 アイリが訪れたその日の夜、私は王と共に就寝に入ろうとしていた。まだ正式に婚儀を挙げていなかったけれど、事実上、私は王の妃となっている。だから夜は王と同じベッドで眠りについていた。しかし、思い描いていたような夫婦の時間は過ごせてはいない。

 ビア王は私を受け入れてくれたとはいえ、愛して下さっているわけではない。その証拠に王が私を抱く事はなかった。私に愛情がないが故、抱けないのであろう。それに対して、私はなにも異論はなかった。王からの愛情がないのも承知の上で嫁ぎに来たからだ。

 他国から嫁いだ私への扱いは想像以上に厳しいものだった。文化も生活習慣もなにもかもが違う。こちらの人達からはまるで子供の面倒をみているような蔑んだ目で対応されている。

 それも承知の上だ。わからない事があれば学んでいけばいい。王に相応しい妃になるよう、私は毎日死に物狂いで勉学に励んでいた。この日、先にベッドに入っていた私の後に王も入って来られた。

 腰よりも長い漆黒の髪が白いシーツに流れている。そして王は私に背を向け、眠りにつこうとなさっていた。そんな王の姿に今日も私を抱こうとする意思がないのが伝わってきていた。

「……ルイジアナ」
「はい」

 背を向けられたまま名を呼ばれ、私は返事を返す。

「オマエはこれで良いのか?」
「構いません」

 私は毅然とした態度で返した。王の「これで」というのは「抱かぬがいいのか?」という意味だろう。言葉の通り、私が望んでいるのは王からの愛情ではない。私が王の傍にいたいだけなのだ。傍にいられて愛せるだけで、私は十分に満たされていた。

 王は民衆から愛されているが、本人はそれを否定する孤独心の強い方だ。彼は本当は愛に飢えているのではないかと思う。だが、それを表す事はなく、誰からも気付かれないようにしている。

 そんな王を私が支え、そして愛していきたいのだ。例え、それが彼からの愛を得られなかったとしても。もう私はビア王なしでは生きられない。私はこの生がある限り、ずっとビア王を愛し続けていくだろう……。





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