番外編⑤「彼を一人の男性として意識したあの頃」―ルイジアナ視点―
――あれ?
意識がある? でも暗くてなにも見えない。明かりの一つもない真っ暗闇の中に、私は立ち尽くしていた。
――なんで私こんな所にいるの?
なにかを目にして確認したいのだけれど、暗闇しか映らず手の施しようがなかった。
――これは夢だよね?
こんな世界は現実には存在しない。したら怖い。私は頬を強めにつねり、夢なのかどうか確認してみる。
「い、痛い!」
本気で痛いから驚愕する。まさかね? 現実じゃあるまい。でも不安は募っていき、速まる心臓の音が妙にリアルだ。
――そもそも私なにをしていたんだっけ? 確か……?
記憶を辿ってみる。大好きな祖母のバースデープレゼントを探しに街に出て、そこでシフォンの花を買いつけた後、自分の部屋に運んだのよね? 香りを楽しんでいて……? 気が付いたら、この真っ暗闇の中にいた?
――どういう事なのか全くわからない。
私はその場で立ち竦んでいたが、恐る恐る暗闇の中へと歩き出した。なにをどう向かえばいいのかわからない。ただただ進んで行くだけ。
…………………………。
どのくらい歩き続けたのだろうか。時間という感覚もわからず、ひたすら私は歩き続けた。何十分? いや、もしかしたら何時間も歩いているのかもしれない。それでもなにも変化を得られなかった。
――どうしたらいいの?
私は途方に暮れて足を止めた。
――ここから出られるの?
この不安に呑み込まれないように歩き続けていたのに、希望の光は見えず、むしろ絶望への道しか残されていないように思えた。
――お父様、お母様、お爺様、お婆様、姉弟みんな……。
私は家族の顔を浮かべながら、祈るように助けを求める。
…………………………。
やはりなにも起こらない。私はどうなるのだろうか? 一層このまま恐怖に呑まれて意識を手放し、目覚めない方が幸せではないか。どんなに歩いても疲れを覚えず、眠気も襲って来ない。なんて恐ろしい世界に来たのだろうか。
――何故、私がここに?
先程からそう何度も湧き起こる同じ疑問。
「アイリ、シャルト………キール! 助けて!!」
私は無意識の内に声を張り上げて仲間の名を呼んだ。刹那!
「え?」
パァアア――――――!! と、目が眩むような強烈な光が出現し、それは暗闇を呑み込む勢いで瞬く間に広がっていった。
「ま、眩しい!」
そう思ったのも一瞬で、次に瞼を開いた時には黄色い光の中で躯が宙へと舞い、暖かな風が私の躯を包み込んでいた。とても心地良く、このままずっとこの風の中に包み込まれていたいと思った。何故か不思議に安心の出来る場所であったのだ…。
☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆
――視界が霞んでいる……。
意識を呼び起こされ、眠りから目覚めるのだと気付く。そんなのんびりとした考えはすぐに切実な声によって吹き飛ばされる。
「「ルイジアナ!」」
聞き慣れているニつの声が、切羽詰まったように私の名を呼んで目の前へと現れた。
「……アイリ? ……シャルト?」
どうやら私は寝台で仰向きになって眠っていたようだ。アイリとシャルトから見下ろされている。私はポカンとなって躯を起こすと、すぐにアイリとシャルトから抱き締められる。
――わわっ、どうしたのニ人とも!
もみくちゃにされる勢いで抱き込まれ、状況を把握出来ない私はさらにポカ~ンとなってしまう。
「えっと、私どうしたんだっけ?」
必死に思考を巡らせて自分の状況を把握しようと試みる。
「君は眠りの術力にかけられて、ずっと眠らされていたんだよ」
「そうよ。目覚めなかったらどうしようかと、ずっと心臓が破裂しそうな思いでいたんだから!」
「へ?」
アイリの言葉に続いて、シャルトも泣きそうな声で伝えてきた。眠りの術力って……それって黒魔術の一種だよね?
――そうだ! 私あのシフォンの花を買って宮殿に持ち帰った後、花の香りを楽しんでいたら、急激な眠気に襲われて……。
「そしたら私はどうやって……」
――目覚めたの?
「キールがアナタの意識の中に入り込んで救いに行ったのよ」
「え?」
――キール?
私はハッと息を呑む。アイリとシャルトに呆気にとられ、キールの存在まで気が回っていなかった。少し離れた場所で、腕と脚を組みながら、こちらを眺めているキールの姿があった。
「キール?」
確かに私は眠りについていたのだろう。眠っている中で、今まで感じた事のない温かな手に抱かれて、フワフワとしてとても心地良かった。例えて言うなら、至福のひと時とはこういう感じではないかと。もしかしてあの腕の中は…。
私はもう一度キールへと視線を向けると、彼もまたしっかりと私の視線を捉える。その瞬間、何故か私の鼓動は大きく高鳴った。胸がいきなり打たれた感じがして、変に動揺してしまう。そんな私の異変にアイリとシャルトが気付く。
「どうしたの、ルイジアナ?」
アイリから覗き込むように視線を向けられると、
「な、なんでもないわよ」
咄嗟に私は動揺を隠した。
「キールが助けてくれたんでしょ?」
私はキールへと向かって細々と問う。
「あぁ」
キールから淡々とした返答が返ってきた。
「意識の中に入ってたんだよね?」
「そうだけど」
「大変だったよね?」
「そりゃぁな。なんせ毒入りの液体物を飲まされ、躯中が焦がされるような猛烈な痛感を味わされたからな。それに耐えなきゃ、オマエを救い出せないと言われ、実行せざるを得なかった」
「……っ」
予想以上に過酷な返答に私は絶句し、蒼白する。な、なにそれ、救い出すのにそんな試練があったの! 私はあまり事になんて返したらいいのか言葉に窮する。
「気にするな。結果オマエを救い出す事が出来た」
キールは私に気を遣っているのか、柔らかな笑みを広げてフォローする。私はそんな彼の表情を見て、急に目頭が熱くなるのを感じる。
「「ルイジアナ?」」
アイリとシャルトが心配そうにして、私の名を呼んだ。
「だって私の為に命を懸けてくれたって事でしょ?」
「だから気にするなって」
「ごめんなさい。とても苦しい思いをさせて、なんてお礼を言ったらいいのか」
涙が滲んできて視界が霞み始める。
「別に礼なんていらない。ただ……」
キールの表情から笑みが消えて、私はドクンと心臓の音が跳ね上がった。
「勝手に物を買うな。必ず検査を通せ。他国からの刺客が紛れ込んでいるのを防ぐのには限界がある。こちらが十分に注意を払わなければならない」
「あ、ご、ごめんなさい」
以前から厳酷に注意されている他国からの刺客。秘かに狙う王宮の人間の暗殺である。バーントシェンナの商人達は厳しい検査を通り、証明書を持っている者のみ商売が許可されているが、巧みに偽造した証明書を持つ刺客が紛れ込んでいると言われている。
その為、王宮の人間が物品を購入する際は検査を通さなければならないのだが、今まで花々を利用した犯罪に例がなく、油断をしてしまっていた。これは私の完全なる失態だ。まさか今回の件がここまで大きくなるとは。
「オマエが倒れているのを知っているのはオレ達と、オマエが倒れているのを発見した使用人だけだ。リキュール様達に知られたら、大事になるからな。とりあえず伏せてある。安心していい」
キールは私の懸念を汲み取って伝えてくれた。確かにお父様に知れたら、考えただけでも全身に鳥肌が立つ。
「あ、有難う。なにからなにまで」
「そうだな」
私のお礼の言葉を聞いたキールが急に意味ありげな表情を見せる。
「お礼ならオマエの躯で払って貰おうか?」
「へ?」
またもやキールからのとんでもない言葉が飛んで、私は吃驚する。い、今なんと? 私が口をあんぐりとして固まっていると、
「冗談だよ。オマエのペタンコの躯では満たされないだろうな」
「はい?」
そう言ったキールは面白おかしく笑いながら立ち上がって、こちらへと向かって来る。
「な、なんなの、今の言い方! 人の躯をペタンコって! っていやいや、そもそも躯で払って貰うとか有り得ないから!」
「ボクなら貰うよ」
「はい?」
勝手にアイリが介入してきた。話をややこしくさせるのか。アイリはやたら嬉しそうな満面の笑みを広げている。い、今の言葉は本気で言ってるんですかぁ! 全くコヤツは相変わらず、恥ずかしい事を口にするんだから。
「キールの言った言葉は満更でもないわよね」
「シャ、シャルト!」
ひ、酷い。シャルトまでキールと同意見なのか。言われるほどペッタンコではありませんから! 全くコヤツ等は! 素でプンスカしたけれど、私は気付いていた。湿っぽい雰囲気を和らげる為に、キールはわざと冗談を言ったのだと。
いつの間にか少年から一人前の男性になっていたんだね。私は改めてキールの成長ぶりに感心した。それと同時に今まで感じた事のない何か温かな感情が芽生えていて、それがなんなのかわかるのはもう少し先の事となる……。
☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆
「はい?」
私は実父に対し素っ頓狂な声を上げ、瞬きを繰り返す。私と同じブロンドの髪と紫色の瞳をもつ、お父様は憂いの色を浮かべて、私を見つめていた。珍しく娘の部屋に来たかと思えば、これはなんの話なの?
「あのお父様、今なんとおっしゃいましたか?」
「だからな、オマエも成人を迎えた事だし、結婚を考えてみてはどうかと言ったのだよ」
最初からお父様の言う意味を把握していたけれど、何故、突然とこのような事を言われるのか、全く理解が出来なかった。その複雑な思いが表情に出ていたのか、さらにお父様は憂いを深め、私を宥めるような口調で言葉を続ける。
「結婚を意識しているのか心配なのだよ。オマエは自分の娘ながら、美しく知性もあり自慢の娘だ。だが、浮いた話の一つもないではないか」
「そんな浮いた話なんて下世話な」
「そんなつもりで言っているのではないよ。では今オマエは恋人がいるのか?」
「それは……」
確信に迫るお父様に、私は答えられず躊躇ってしまう。それに頭の脳裏にキールの姿がチラつくのはなんで?
「もしいないのであれば、友人のバーボン氏のご子息ネビンズ君を考えてみてはくれぬか?」
「はい?」
またお父様のとんでもない発案に、私は目が点となって固まる。
「バーボン氏は優秀な役人の家柄だ。嫁いでも生活はなにも不自由させないだろう。それに今まで何度か顔を合わせている間柄だ。知らぬ相手ではないから安心であろう」
「いやいやいや、そういう問題ではございません。バーントシェンナの王族は自由恋愛の結婚が認められているではありませんか。私やネビンズ様の気持ちもお考え下さいませ」
「先方はオマエを受け入れるとおっしゃっているよ」
「はい?」
お父様の言葉に度胆を抜かされる。相手は了承済みなの? 完全に私はパニくって言葉を失う。
「オマエの心配をバーボン氏に話したところ、彼が是非ご息子をって押してきてくれたのだよ。どうやらネビンズ君は昔からオマエを気に入ってくれていたらしい」
「それは」
知らなかったわ。ネビンズ様とは同い年で、王宮のパーティの催しで何度かお会いした事はあったけど、そんな私に好意を寄せてもらっていたなんて、ちっとも気付かなかった。会った時には世間話をして、少しダンスをしたぐらいよね。
背が高く容姿も精悍な顔つきで、性格は硬派で真面目で、家庭をとても大事にしてくれそうな誠実な方だ。だからなにも私じゃなくても、他に良い女性が沢山いるとは思うのだけど……。
「急にそんな話をされても困ります」
私は呆れ返り軽く溜め息をついて、お父様に言葉を返した。
「さっきも言ったが、オマエは自慢の娘だ。婚期を逃して妙な噂でも流されたら、オマエが可哀相なのだよ」
「それはお父様が体裁を気になさっているようにしか聞こえないわ」
「ルイジアナ、そんなネガティブに考えるな。恋人がいないのであれば、ネビンズ君との結婚を前向きに考えて欲しいのだよ」
無理に押そうとしているお父様に、私は酷く憤りを感じる。それにさっきから何故かキールの姿が目に浮かんでいて、無性に彼に会いたくて仕方ない。その気持ちがなんなのがわからず、それがまた自身を苛立たせていた。
「前向きもなにも感情がついていけません」
「ルイジアナ!」
これ以上、お父様と話をしていても解決しない話だと思った私はお父様を黙殺し、部屋から去って行った……。