番外編③「お色気はよそでやって下さい」
「あっちゃ~、また迷っちゃったよ~」
もう! 本当にこの宮殿ってバカ広すぎ! 私は午後の勉強会を終えて、自分の部屋に戻ろうとしていたんだけど、ものの見事に迷ったよ。こっちに来てから一ヶ月半ちょっとが経つけど、未だに宮殿内を迷う。
なんせ部屋数が二千以上もある相当広い宮殿で、未だ私は一部の場所しか把握出来ていないのだ。ちょっと別の場所に行くだけでも、巨大迷路に入ってしまったようにわからなくなり、最後には発狂しちゃうんだよね。今はまだその段階にまで至ってはないけど、先が思いやられるわ。
「来た道に戻れるかな?」
とりあえず、来た道を戻る事にしてみた。すれ違う使用人さんの何人かに尋ねながら、ようやく身に覚えのある部屋の扉が見えてきてホッとする。
「今日は晩御飯の前に、お風呂に浸かろうかな~」
嬉しく呟きながら部屋の扉を開いた。
「あんれ? ……何処ここ?」
てっきり自分の部屋だと思っていたのに、なが~いデスクと幾つもの椅子が並ぶ、いわば会議室のような大部屋に入ってしまったようだ。なんだ、なんだ? 出入り口のデザインが似ているから、間違えたのか。紛らわしいなぁ~。
なんとなーくだけど、室内へと足を踏み入れてみた。いやぁ~凄いな、この部屋! なんか日本でもドラマや映画とかで見るお偉い役員達が集まる会議室みたいだよ。
浮彫りの装飾がなされたデスクの上には華美な織物のカバーが敷かれ、その前には格式のあるクラウンの椅子が並び、いかにも大会議室って感じだよね~。
へへ、ちゃっかりとクラウンの椅子に座ってみた。こんな高級な椅子、王族にでもならない限り座れないよね~。私が優雅に腰をかけていたら、なんとギィーと扉が開く音が耳に入った。
「!?」
――げ、誰か来た。
私は悪い事をして見つかったような気分となり、怒られる事を恐れたけれど、背にもたれている部分に高さがあって、運良く扉から私の姿は見えていないようだ。私は咄嗟にデスクの下へと身を隠した。デスクにはカバーが敷かれている為、私の姿はそうそう見えない筈だ。
悪い事をしていたわけではないんだけど、姿を現す事に抵抗を感じたのだ。座っていた椅子を少しずつ手前に引き、元の場所へと戻す。その間に何人もの足音が聞こえてきていた。思っていた以上の人がこの部屋へと入って来たようだ。
あ~、ますます出づらくなったな。仕方なく私は入って来た人達が出るまで、ここで体育座りをして待つ事にした。それから人々が椅子を引いて座り出した。総勢十五人ぐらいのようだ。全員が座り終えて、デスクに書物らしきもののを開く音が聞こえた後、一人の男性の声が響く。
「キール様、早速ですが議題に入らせて頂きます」
「わかった」
――キ、キール! なんという事だ!
彼の名前が聞こえただけで私は萎縮する。こ、こんな所にいるのがバレたら、しこたま怒られるだろうなぁ。どうやらキールを含めた元老院や宮宰といったお偉いさん達が集まった重要な会議のようだ。
「今、最も問題となっております関税ですが、マルーン国とヒヤシンス国側が保護貿易の体制へと入り、我が国の輸出品が痛手を負っております」
政治の話だよね? 議題にいくつかの解決案が上げられ、長い話し合いが続く。
「次に我が国でも地租単税を求める声が非常に多くなっており、商人達の多くは関税と土地税の廃止を求めてきております」
「我が国の税金は医療や学業などの免除に使用している。無駄に徴収させていない事は商人達もわかっておる筈だろう?」
「その商人達から血税との不満の声が上がっております」
「重工主義だと農夫達から不満の声が上げられている最中、さらに商人達の懐を潤す訳にはいかぬな」
ね、眠い。内容を聞いていると、おのずと睡魔が襲って来る。しかし、キールは問題を課せられてはきちんと受け答えをしている。な、なんだ、十七歳のボーイが理解出来る内容じゃないよね?
「次にマルーン国とヒヤシンス国との国境線の問題でございます。先日マルーン国の商人が国境線近くで、スルンバの売買を行っていたところ、ヒヤシンス国の衛兵の目に留まり、そのままヒヤシンス国側に連行され、処刑までされたそうです」
「何故だ?」
「ヒヤシンス国からの言い分ですと、スルンバを売買していた領域が既にヒヤシンス国側だったそうです。許可無しの他国での売買は法に反していたという理由です」
「マルーン国側は納得しているのか?」
「いいえ、大変立腹しているようです。そもそもマルーン国側は商人が売買していた域がマルーン国だったと主張しています。領域の境目が漠然としていた為、このような事態を招いたようです
」
「そもそも何故、国境線付近で売買を行っていたのだ?」
「それは……」
――ねっむーい!
「我が国でも同じような事が起こらぬよう、至急に国境ラインの区切りを表明づけろ。また国境線近く半径五キロ以内の売買を禁ずる。違反した者は……」
――だ、ダメだ。睡魔が私を優しく包み……込……ん……だ…………。
……………………………。
いつの間にか私は体育座りしたまま眠ってしまっていたようだ。目が醒めた時には既に会議は終わっていたようで、辺りに人気が感じられなかった。……ん? 何処からか小声ではあるけれど、男女の会話が耳に入ってきたぞ。
「お久しぶりに、お会い出来て嬉しゅうございますわ、キール様」
「あぁ、二月ぶりか」
「大変淋しゅうございました」
――ん? んん?
会話が聞こえなくなったと思いきや、な、なにやらチュ、チュッてリップ音が聞こえていますけど? …………………………………………も、もしかして、もしかしなくても!? 私はカァーって顔に熱が集中していくのを感じた。そして思わずデスクの下から、ヒョッコリと身を乗り出して様子を覗く。
――うわぁぁぁ~!!
ハッキリと見る事は出来ないけど、腰まで伸びている美しい漆黒の髪に、煌びやかな髪刺しを飾った美女から、キールは熱い口づけ攻撃を受けていた。
―――やめろやめろやめろ! 人前で恥ずかしいなぁ~!
と、叫んでやりたいんだけど、今の私は覗き魔の何者でもない。うぅ~知り合いの生々しい場面なんて見たくないっての! しかし、私の叫びの声はフルシカトされ……。
「キール様、今日はこのままご寵愛下さいませ」
さらに女性の物欲しげな甘い声が耳に入る。
――へ? ご寵愛とは? も、もしかして……?
私は赤くなったり青くなったり、リアルに叫びそうとなったけど、口を押さえて防いだ。女性は自らドレスをはだけさせ、美しい肌を覗かせる。その肌にキールは手を伸ばそうとしていた。あっしの予想通りの展開じゃないですかぁ!?
――ア、アイツ、まさかここで行為を成し遂げようと!? やめろやめろやめろ~!
私は固く目を瞑って心の中で叫んだ。
「悪いが今日はやめておく」
―――へ? あのキールが断った?
私はまたコッソリとキール達の方へと視線を向けると、キールは女性のはだけたドレスを元に戻していた。
「え? 何故ですの?」
美女も意外とも言える表情で、キールを見つめ返している。
「気分が乗らないだけだ」
申し訳なさそうに苦笑いをしながら言うキールに、美女は不満と疑念の眼差しを向けていた。
「もしかして宮殿入りした娘が原因ですの? 話を聞くところ、そちらの娘が来てから、キール様との交流が疎遠になってしまったと他の女子達が嘆いておりましたわ」
――ん? 宮殿入りした娘とは私の事だよね?
「もちろん私も同じ気持ちですのよ?」
「アイツは関係ない」
キールは美女の言葉に即答した。私はその言葉に、何故か胸が突き刺さる思いに駆られた。べ、別にキールからどう思われようが、私は気にしないけどね! そもそも生意気なんだよ、キールは!
恋人と別れたからって、手当たり次第に女性達と関係をもってさ! 今までは仕事が終わったら、なんだかんだ私の部屋に戻って眠っていたから、女性達との関係もそんなんでもないのかなって思ってたけど、実際はエッチし放題かよ!
「でしたら何故ですの?」
美女はせがむようにキールに近づく。
「悪いが出来ない」
キールは苦渋の表情を浮かべ、美女から視線を外した。
「……わかりましたわ」
心なしか美女の瞳が潤んで見えるのは気のせいかな? なんかこの現場めちゃめちゃ居づらい。
「今日はもう行きますわ。またお会い出来る日を楽しみにしております」
そう美女は言葉を残して部屋から立ち去ろうとした。その言葉がどことなく、永遠のサヨナラのような悲しい口調に聞こえて、何故か心が痛んだ。美女が部屋から去り、部屋にも誰も残っていないのに、まだキールは残っていた。閑散とした空気が流れており、私はドキドキしていた。
――早くキールも去らないかな?
私は見つからないように、デスクの下で体育座りをしていた。そして靴音がして、ようやくキールも部屋から出るんだろうと思っていたら……。
「もう誰もいない、出て来てもいいぞ」
――ん?
キールが誰もいない筈の部屋で呟いたぞ。なに今の? 独り言? キールと私以外にもまだ誰かいるんかい? ……まさかとは思うけど、私に対してを言ったんじゃないよね? 私はドクドクと心臓の鼓動が速まって、嫌な予感をよぎらせた。
「いつまで雲隠れをするつもりだ? 千景……」