番外編⑩「ずっと騙されていました」
「お久しぶりですね、千景さん」
ん? 回廊のとある一角で、背後から名を呼ばれた私は反射的に振り返る。
「あっ」
視界に映った人物に思わず短く呟いてしまった。何処かで聞いた事のある声だと思ったら。
「チナールさん」
彼は以前と変わらず、人当たりの良さそうな柔和な雰囲気をもって微笑んでいた。なんか懐かしいぞ。チナールさんと最後に会ったのっていつだったけな? 暫くずっと見かけていなかった気がする。
彼は私がこちらの世界に来て、片思いをしていた男性だ。まさかの妻子持ちで儚くジ・エンドしたんだよね。今となってはキールとラブラブになれたわけだし、良い思い出となっているんだけどね。
「もう千景さんとお呼びするのは失礼でしたね。千景様」
「ふぇ?」
――ち、千景様? 何故!? ……あ、そっか。私、キールの婚約者だと公に発表されたんだっけ。
それに伴って服装もノーブルなドレスに変わったし。以前はチナールさんと同じガンドゥーラの服を着ていたから、パンピーだったんだけど、急に「様」なんて付けられたら、却って恐縮してしまうがな。
「今更、様なんてよして下さいよ。私とチナールさんの仲じゃないですか」
いや、そんな仲良しこよしでもないけど、様はいらんよね。
「そうは参りませんよ。千景様はキール様の大事な方ですから」
いっやぁ~ん! そんな改めて言われちゃ、歯痒いではないですか! 事実その通りなんだけどね!
「それでもチナールさんは様を付けなくていいですよ」
「そうですか?」
チナールさんはちょぃと困った表情をしている。彼は律儀な人だからね。
「今日もシェフに食材をお届けですか?」
一先ず敬称はご自由にという事で、私は違う話題へと移った。
「いえ、今日はキール様にお礼を申し上げに参りました」
「え? キール?」
愛しのキールの名をもう一度口にされて、私はウハッとなったけど……でもお礼ってなんのだ?
「お礼ですか?」
「はい、実は……」
「?」
チナールさんが少し恥ずかしそうな様子に見えるのが気のせいかな?
「あと三ヵ月ほどで、また新たな子が誕生します。その話がキール様のお耳に入り、お祝いの品を送って下さいまして」
な、なんと! チナールさんに新しいお子さんが! 確かチナールさんのお子さんって五人いて、今度新たとなると……。
「六人目ですね!」
「はい、そうなんです」
奥様とどんだけ愛し合っているんでしょうね! まぁ、あっしとキールとの愛の深さも負けないけどね!
「それはおめでとうございます! ……にしてもキールからはなにも聞かされていなかったな」
私が過去にチナールさんを好きだったのを気にして言わずにいてくれたのかな? 今の私はキールしか見ていないのわかっている筈なのに、むぅ~なんでだろう。もしかして……?
万が一私が傷つく様子を見せたもんなら、キールの方がショックを受ける可能性があって嫌だったのかもしれない。キールは基本的に嫉妬は見せないけど、むっつりジェラうタイプかもしれないしね。
「キール様は王ですからね。立場上、他人の出来事を容易にお話なさるのを避けていらっしゃるのだと思います」
なーる! って、じゃぁ、キールのむっつりジェラ説は関係なしってか! なんだか恥ずかしいぁ、もう!
「そうですね。でも私も知っていたら一緒にお祝いの品物を送ったのに」
「そんなお気遣い下さらなくてもいいですよ。キール様から事あるごとに常々お祝いの品を頂き、恐縮しておりますので」
――ん?
私の頭の中に大きな? マークがドシンッ! と、落ちてきたぞ。事あるごとに常々? って、どういう意味だ?
「事あるごとに常々ですか?」
「はい、私の婚礼や妻の出産の度にキール様から、お祝いの品を頂いておりました」
――んん?
「?」マークが違和感に変わる。だって確かキールはチナールさんが結婚していたのもお子さんがいたのも知らないって言ったよね? 私がチナールさんに失恋して大泣きしている時に…………まさかとは思うけど!
「千景さん?」
急に黙り込んだ私を不思議そうに見つめるチナールには、その時の私の怒気オーラを気付く筈がなかった……。
☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆
「千景……」
今宵、すっぽんぽんとなったキールから愛おしく見つめられ、頬を両手で包み込まれる。ベッドの上での求愛だ。いつもなら「来たぁああ!!」って、興奮しながらも彼を受け入れて、思う存分に愛を確かめ合うのだが、今日の私はその手をパシンと払い退けた。
「千景?」
私の態度にキールは目を大きく見張った。フンッ!
「どうした? なにかあったのか?」
なにかあったのかじゃないっての! なにかしたのはアナタなんですから!
「キール、私にずっと隠していた事があったでしょ?」
「?」
キールは本気で首を傾げているではないか! そりゃ、もう半年以上も前の話をされても、アナタは綺麗サッパリと忘れているんでしょうね!
「なにが言いたい?」
不服な表情へと変わったキールは逆に問うてきた。
「今日、チナールさんに会ったの」
「それで?」
な、なんてヤツだ! チナールさんの名を出しても気付かないとは!
「その時に聞いたんだから! キールはチナールさんの結婚や奥さんの出産の度にお祝いの品を送っていたんでしょ?」
「だから?」
ッカー! まだ気付かないってか!
「前に私がチナールさんに失恋した時、彼に奥さんとお子さんがいるの知ってた? って訊いたら、知らないって言ってたじゃん!」
「その事を言いたかったのか……」
やっと気付いたのか! 遅すぎだっての!
「なんで黙ってたの? 私が傷つくと思ったから!?」
「いや、違う」
「じゃぁ、なんでよ!?」
「オマエがチナールに好意を寄せてから、上手い具合にこちらの言葉を覚え出した。もし、チナールに妻子持ちの事実を伝えたら、物覚えが悪いのに戻ると思って黙ってたんだよ」
「な、なんだそれ! 人のピュアな恋心を利用していたって事か!」
「もう過ぎた話だろ?」
な、なんと! キールは少しも悪素振りの様子を見せず、過去の話だと流そうとしているではないか! なんというヤツだ!
「まずは悪かったの反省が先だろう! なにケロッと流そうとしてるんだよ! 最低だ!」
「悪かったよ」
と、キールは謝ったが実に面倒くさそうに、いや煩わしそうな態度をして言いよった! そう、反省の様子が全く見えないのだ!
「許さないんだから!」
「は?」
キールは思いっきし眉を顰めた。かなり不服そうな顔だが知らん。
「ずっと騙されていたみたいで早々許せません!」
「謝っただろう?」
「フンだ!」
謝ったじゃなくて誤ったんだっての!
「なんで今更、半年以上も前の話を蒸し返しているんだ? そんなんで今後妃として務まら……」
「それとこれとは話が別ですぅー! キールのその反省していない態度に、私は頭にきてんだ!」
「ちゃんと反省してるって」
「フン! とにかく私は許しません! 今日は私に指一本触れないでよね!」
大好きな恋人が横で寝ているのに、触れられない拷問を受けるがいい! フ――――――ンだ!!