第七十七話「激戦の中で」
――なんという事だ。
確かにこの場から去るように促したのはアイリッシュさんだし、彼のさっきの気迫は凄味があり過ぎて、言う事を聞かざるを得なかったとは思う。でもだからといって、彼が一人でマルーン国数千の兵士と、しかもあの厄介な術者を相手にするのはいくらなんでも。
私は唖然となりながら、アイリッシュさんの様子を見守る。変わらず緊迫した状況で、私の心臓はいやに早鐘を打ち、額から冷や汗が流れていた。さすがにアイリッシュさんを置いて、キール達の後は追えない。だが、無力の私になにが出来る?
「噂通り偉大な方のようだ、アイリッシュ殿。貴方にお会い出来て光栄ですよ。しかし、お一人とは賢い選択だったとは思えませぬが?」
「無駄に命を懸けさせるつもりはない」
「少し買いかぶり過ぎる気もしますが。先にお伝えさせてもらいますが、バーントシェン国の術者は身に危険が及ぶと、自動的に自己防衛が発動されるそうですが、その術力は解除させて頂きました」
「何故それを知っている? もしや其方はシャルトリューズを襲った一人か?」
「なんの事でしょう?」
あ、あの術者、シャルトを襲った極悪非道人か! しかもシレッと白々しく言葉を返しやがって! 踏み潰したろか! 私は息を荒くして術者を睨んだ。
「検討を祈りますよ、アイリッシュ殿」
私から術者の顔がはっきりとは見えないけれど、きっと余裕の笑みを浮かべている事だろう。口調からそう感じた。
「あまり時間をかけているつもりはございません。我々も我が王をお守りせねばなりませんので」
術者は要件を伝えると、右手を掲げた。それが合図となってマルーン国の兵士達は剣を構え始めた。そしてアイリッシュさんも剣を振り被り構える。こんな多勢に無勢でどう勝てというのだ。私は頭の中が錯乱していた。
「調子づいて勝手に首を跳ねるでないぞ。彼は有能な術者だ。真っ向に行っても無駄死にをするだけだ。まずは動きを取り押さえろ」
術者の言葉は一層空気を張り詰めさせた。私の不安も懸念もよそに、術者のかざした手は下ろされ、数千の兵士達は一斉にアイリッシュさん目掛けて、スルンバを駛走させた。
――あー、どうしたらいいの!
アイリッシュさんはマルーンの兵士達との距離が縮まると、振り被った剣を鮮やかな動きで横に薙る。すると、不思議な事に剣の先から眩い閃光が放たれ、その光は広範囲に渡って兵士達へ放散されていく。
「うぁああ!!」
「な、なんだこれは!?」
前列にいた兵士達から叫び声が響き渡る。光は兵士達に纏わりつくように覆い、彼等の酷く躊躇する姿を見兼ねた術者から怒鳴り声が上げる。
「怯むでない! 続いてアイリッシュ殿に向かえ! すぐに攻撃にかからなければ、再び光が放たれ黒焦げにされるぞ!」
え? アイリッシュさんが出したビームらしき光は人を丸焦げにする、そんなデインジャーなものなのか! 私は一人慌てふためく。眩い光が薄らいでいくと、鋭い剣撃の音が鳴り響いてきた。
私の瞳にはアイリッシュさん一人が何人もの兵士達と剣を交える姿が映った。彼は躯を宙に浮かせ、動きは軽快であった。兵士を宙蹴りしては後ろへと回転し、着地の前にまた斬り突けに入る。
時には躯を横に捻じ曲げて、兵士達の剣を避け、術力で複数の兵士に攻撃をかける。こ、これはもしかしてアイリッシュさん一人で兵士達をやっつけてしまうかもしれない! 私の心に希望の光が宿る。戦いは進んでいき、気が付けば兵士の三分の一を打倒していた!
――いいぞいいぞ!
私は瞳を満天の星のようにキラキラさせながら応援する。しかし……。
――ん? 気のせいかな?
暫くしてだ。少しばかりアイリッシュさんの動きが鈍くなってきているように見えた。そう思った瞬間、私の心に不安が過る。三分の一の兵士を打倒したという事は三百以上の兵士を相手にしたのだ。
そして残る七百近くの兵士と戦わなければならない。しかも極めつけはあの術者も残っている。術力を使っては体力の消耗も早いのだろう。私がオロオロとしている時だ。
「貴様等いつまで遊んでいるつもりだ! 我々はマキシムズ王をお守りするのが任務だ! たかが一人に時間をかけるのではない!」
高みの見物をしていた術者が痺れを切らし、兵士達を怒鳴り散らす。その言葉を受けた兵士達がヤケを起こし始め、アイリッシュさんへ次々と剣を向けていく。彼は微妙に鈍い動きはあるが、軽やかに交わしていた。
そういえば、少し前から術力を全く出していないよね? もしかして出せるだけの体力が残っていない? だけど、まだまだ兵士達の数は相当だ。この数を裁くには術力がなければ不可能だよね。
私の不安が酷く募る。その時だ。目にも留まらぬ速さのなにかがアイリッシュさんの躯に激突し、彼は宙へと大きく舞い上がった。私は目を見張って一驚する。
――な、なにが起こったの!?
アイリッシュさんはドスンッと鈍い音を立て地へと叩きつけられた。そしてすぐに術者がアイリッシュさんの前へと躍り出る。
――ま、まさか今の攻撃はアイツが!
自分は参戦しないで横から攻撃してくるなんて、とんでもない悪党だ!
「気が短いのが私の悪い性分なものでして。これ以上、時間をかけていては王からお叱りを受けてしまいます。悪く思わないで下さいね、アイリッシュ殿」
術者は淡々とアイリッシュさんへ言葉を投げつけた。アイリッシュさんは打ち所が悪かったのか、仰向けに倒れたままピクリとも動かない。
――ど、どうしよう、どうしたらいいの!
「最後になにか言う事はございますか? あぁ~、今の波動には痺れの効果も入っていたので、ろくに話も出来ませんね。仕方ありません。これ以上、彼に死の恐怖を味わらせるのは気の毒だ。さっさと首を跳ねて差し上げろ」
術者の近くにいた兵士の一人がアイリッシュさんの前へとやって来た。
――ヤ、ヤバイヤバイヤバイ!
このままではアイリッシュさんが殺られちゃうよ! 私は頭の中が混沌する。その間にもアイリッシュさんの前まで来た兵士は躊躇う様子も見せず、空高くに剣を上げ、そしてアイリッシュさんの首を目掛けて振り下ろした!
「ぐぁああ!!」
苦痛の呻き声が上がる。それはアイリッシュさんの首を取ろうと剣を振り落ろした兵士からだった。彼の躯は派手に吹っ飛んだのだ!
「……ち……かげ?」
私の背後で倒れているアイリッシュさんが私の名を呼んだ。そう、さっきの兵士は私が空からスーパードロップキックを食らわせたのだ!