Please75「揺蕩う狭間の中で」




「アクバール様!!」

 心臓を光の矢で貫かれた彼を目にして、私は飛び出さずにはいられなかった。明らかに彼の様子はおかしかった。倒れたデュバリー・・・・・・・・を抱き上げ、私の名を呼ぶ彼に何か良からぬ事が起きているのだと察した。

 予感は的中し、アクバール様の身に危険が落とされた。彼を抱き上げると、自分の腕が彼の血の色で染まっていく光景に戦慄き、目が眩みそうになる。流れる血の量が半端ない。私は正気を失いそうになり、呼吸もままならない。

「アクバール様! アクバール様!」

 薄っすらと開かれる瞳の色は弱々しく、焦点が定まっていないように見える。

「レネッ……ト、何故……ここに?」

 神官様の指示のもと、私は陛下や民衆達と一緒に避難しなければならなかった。私はアクバール様達を置いて逃げたくはなくて、隙を見て広場へと戻ってきたのだ。危険を承知で私は闘いの様子を陰で見つめていた。

「レネット……アイツ……から……逃げろ。……オマエ……は……生きろ」

 オマエは生きろって、まるでアクバール様はいなくなるような言い方だった。

「嫌です、嫌です! アクバール様を置いて去る事なんて出来ませんっ」

 私はアクバール様の手をギュッと握り締め、彼の頼みを否む。

 ――お願い、お願いっ! アクバール様を連れて行かないで!

 止めどなく溢れる涙で視界が霞む。

「頼む……生きて……くれ……オマエ……だけ……は」
「アクバール……様?」

 彼の双眸がゆっくりと閉じられ、そして私の躯に重みがかかる。

 ――嘘……。

 目の前が真っ暗闇になった。

 ――アクバール様……息をしていない……。

「そ、そんな……」

 ――アクバール様が亡くなったなんて信じられるわけ……。

 彼は絶対に死なないと約束してくれた。なのに今彼は私の腕の中で永遠の眠りについた。受け入れたくもない現実なのに嗚咽が込み上げてくる。

「てっきり貴女は民衆と一緒に逃げたものかと思っておりましたが」

 ――はっ!

 周りの様子なんて一切見えていなかった。目の前にはアクバール様を腕に抱く私を冷然と見下ろすデュバリーの姿があった。私は哀哭すら許されないのか。

「アクバール様達を返して!」
「いくら私が万能でも死んだ人間を生き返らせる事は出来ませんよ」

 昂奮している私とは相反してデュバリーは嫌味なほど落ち着いていた。それが余計に私を昂らせる。

「赦さない、私は貴方を赦さない!」
「私を赦さないと言いますが、人間の貴女に何が出来ると言うのですか?」
「絶対に貴方を赦さないっ!!」

 抱いた事もない憎悪が膨れ上がって爆発する。私は立ち上がってデュバリーと対峙した。

 ――赦さないっ! 赦さないっ! 赦さないっ!!

 私はデュバリーへの憎しみに燃え上がり、躯中が熱く力が漲るような感覚がする。

「!?」

 デュバリーの頬にシュッと鋭い切口ができ、緑色の血が噴き出した。

「貴女は魔力を持っていないというのに今のは何故……」

 死のような沈黙が降りる。

「……そうか、そういう・・・・・かっ!!」

 突然デュバリーが憤怒の形相で声高を上げた。

「そうと分かっていれば、真っ先に貴様を殺したというのに!!」

 何がそういう事なのか分からない。今にも嬲り殺しそうな形相は普段の私であれば逃げていただろうが、今は彼に対する憎しみの方が勝って逃げ出さずにいられた。

「ほんの興味本位で生かそうと思っていたが、真実を知った上では生かしておけない。今すぐに王太子の許へ行かせてやろう」

 空気が急変する。それからデュバリーの首が蛇の躯のように伸び、彼の顔が目の前に飛び込んできた。真っ赤に帯びた瞳が不気味に光る。私は息をつく間もなく視界が暗転した。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 命を奪われたのかと思ったが、そうであればこんな風に思考が動くわけない。意識はあっても視界は暗澹とした闇が広がっていた。ここはアムブロジア広場でもないし、デュバリーは何処に行ったの?

 ――やっぱり私は死んでしまったんじゃ……。

 視線を落とした時、異変に気付いた。

 ――何これは……。

 躯が温色の光に包まれていた。なんでこんな事になっているの? 躯に何か変化は感じられないが、正体不明なこの状態が恐ろしい。

「ヴィオレ……」

 ――え?

 前方から熱の籠った声が耳に入った。この声、そしてヴィオレと呼ぶ人物といえば一人しかいない。

 ――デュバリー……。

「どうして貴方がここに?」

 そもそもここは何処なのか……。

「分かりません。気が付けばこの空間におりました。どうやらここは異空間のようですね。異空間だろうと貴女が何処にいても、私は必ず貴女を見つけ出します。もう邪魔者は排除したので、これからは私達二人だけの世界ですよ」

 スッと伸びてきたデュバリーの手に私は嫌悪感が湧いた。

「私に触れないで!」
「ヴィオレ?」
「私はヴィオレではないわ!」
「貴女は私が愛するヴィオレですよ」
「いいえ! 私はカスティール・・・・・・よ!」

 自分が何故カスティール様と名乗ったのか理解が出来なかった。でもどんどん頭の中は別の意識が入り込んでくる。まるで私の思考を奪うかのように……。

「カスティール? 冗談ではありません、そのような俗称、貴女はヴィオレです」 「私はヴィオレという名を捨て、フォクシー様が付けて下さった“カスティール”という名で生きる事にしたの。もうヴィオレという存在は何処にもないわ」

 意識は残っているが別の人間がいる。別はカスティール様なの? なんで躯を奪われたのか分からないまま、カスティール様とデュバリーの会話はなされていく。

「ヴィオレ、貴女はいつまで死んだ人間に想いを馳せているのです? 貴女は生きているのですよ。これからは生きている者同士の未来を考えるべきです」
「フォクシー様は今でも私の中で色褪せずに息づいているわ」
「貴女は私を怒らせたいのですか?」
「私は正直な気持ちを告げているだけよ。デュバリー、自分に心が無い相手を手にして、それで貴方は満たされるの?」
「貴女はもう私との未来しかありません」
「いいえ、貴女との未来を選ぶぐらいであれば私は死ぬわ」
「何を馬鹿な事を」

 剣を含んだ顔のデュバリーが私(・)に触れようとした、その時、眩く青い光が闇を呑み込んだ。

 ――な、何!?

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 渺々(びょうびょう)たる青い世界が広がっていた。似たような景色を見た事を思い出し、ここが海の世界なのだと気付いた。

 ――どうして海の中にいるの?

 でもここが本当に海の中であれば、私は呼吸する事が出来ない。もしかして死後の世界? デュバリーに触れられた時、命が絶たれたのだろうか。

 ――クラッ。

 突然意識が遠のく。そこにまた無理に何かがが入り込んでくる。

 ――また別の意識が入り込もうとしている。

 この現象は何! 自分が別の人間になっていくような感覚に陥る。そして私は別の人間に意識を持っていた……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 海底に棲む魔女と魔法使いの殆どは感情が淡白だ。だが、ごく稀に人間のような感受性豊かな者もいる。自分は前者だと思っていた。ところがヴィオレを初めて目にした時、何とも言えぬ感情が芽生え、考えが変わった。

 ヴィオレは外貌が人間と変わりない、清廉された魔女。とても美しいと思った。私の無機質な心を震わせるほど蠱惑的であり、顔の一部が爛れた醜い容姿の自分とは異なる存在だった。彼女が欲しいという渇望が生まれるのは自然の事だった。

 下卑た人間のような劣情を自分が抱くなど思いも寄らず、この私が初めて戸惑った事を今でも憶えている。やがて渇望は膨れ上がり、私は彼女に接触を試みた。彼女の瞳に自分の姿が映った時、血肉が、細胞が沸々と騒ぎ立てた。

 ――彼女が欲しい。

 ――彼女が欲しい。

 ――彼女が欲しい。

 ――彼女が欲しい。

 ――彼女が欲しい。

 魂が震わせるほどの渇愛が生まれた。それは生理的な欲望よりもさらに強い羨望だった。私は必ず彼女を手に入れると、強く心に決意する。欲望が爆発し、私は彼女を無理やり我がものにしようとした。

 しかし、私の行動を四天王の二人が邪魔してきた。彼等も自分と同じくヴィオレを欲していたのだ。絶対に彼女を渡すわけにはいかない。その思いに塗れた私は四天王の二人を闇へと葬った。その出来事は海の世界を震慄させた。

 そんな事はどうでも良かった。念願叶って手に入ったヴィオレに私は感極まっていたからだ。私は彼女が逃げ出さないよう、魔力で作った鳥籠の中に閉じ込め、来る日も来る日も私は彼女を愛でた。

 性的な意味はない。彼女の存在は聖域そのもの。決して穢してはならなかった。私は彼女を近くで見ているだけで心が満たされており、そこに彼女の気持ちなど考えてはいなかった。

 ある時、思いも寄らぬ出来事が起きた。海上で事件が起こり、私は様子を見にヴィオレの元を離れた。それがとんだ運命を引き寄せるとも知らずに。私がいない間にヴィオレは逃げ出し、彼女は海の世界からいなくなった。

 人間が住む地上にいると予想はついているものの、彼女の作った結界のせいで彼女を見つけられずにいた。私は人間と戦争になろうとも彼女を見つけ出すつもりであったが、その行動は彼女に死を選ばせてしまう恐れがある。

 下手に行動が出せず、私はひたすらに堪えた。いつか再び彼女と会えると信じ、人間界を見張っていたのだ。三十年以上もの月日が流れ、ようやくその機会が訪れた。ヴィオレの結界に綻びができ、彼女を見つけた。

 ところが意外な事実に私を震撼させる。ヴィオレは人間の男と結婚し、さらに子まで儲けていた。その赦し難い事実をどうするか。だがヴィオレの愛した人間は既にこの世から去っていた。私からヴィオレを奪った当然の罰だ。

 ――今度こそ彼女を離さない。今度彼女を失ったら私は荒れ狂うだろう。

 だから私は彼女が逃げ出せないよう、今度は人間界で徹底的に監視をする事にした。人間の姿となり、私のヴィオレを奪った憎き人間の子に呪いをかけて王都から遠ざけ、新たに王座につけたヴォルカン陛下を陰で操った。

 何もかもが順調であった。しかし、アクバール王子が伴侶を娶ってから変化が訪れた。声を取り戻した王子が反撃を開始に王宮へと戻って来たのだ。とはいえ取るに足りない存在であり、ヴィオレが魔女である事も露呈され、私にとっては都合が良くなった。

 ――これで完全にヴィオレは私のものになる。

 そう思っていたのに……。





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