Please73「生命を懸けて」―Akbar Side―
――レネット……。
オレは愛しの彼女の名を呼んだ。彼女は今、叔父上と一緒に避難しているだろう。本当は今すぐにでも逢いに行きたかったが、今はデュバリーを倒す方が先決だ。そしてオレは奴とクレーブスの闘いを凝視する。
民衆がいなくなった広場は見るに堪えない荒れ果てた廃地となり、熾烈な戦いが繰り広げられていた。幾度なくデュバリーの攻撃魔法が繰り返され、それらすべてはクレーブスの魔法によって吸収されていた。
デュバリーは足掻きしているように見えて、そうではなかった。火、水、土、風、雷、氷、光、闇、聖、魔など、ありとあらゆる魔法を使い、吸収魔法に落とし穴がないか探っているように見える。
クレーブスが生み出した魔法は巧妙で、見ている限り無敵だ。しかし、気になるのがデュバリーに焦燥感が見られない事だ。あれだけの攻撃をすべて吸収されているにも関わらず、余裕にすら見えるのは奴の矜持なのか。
――そんな単純な事であればいいが油断出来ない。
「なるほど、どんな魔法も見事に吸収してしまうようだな」
デュバリーの息遣いが上がった頃、奴が言葉を吐いた。
「残念だったね。ここまで頑張って攻撃したというのに」
押される事のなかったクレーブスは余裕を見せていた。対してデュバリーは息が上がっているところをみると、多少の疲れと魔力の低下が見受けられる。
「そろそろ終わりにさせてもらうよ」
クレーブスは頃合いを見計らって再び攻撃を開始する。掌からヒラヒラと舞う影色の蝶の群れが現れ、ハイスピードで飛んで行く。瞬く間にデュバリーの頭上まで飛来すると、蝶達は金色の粉を振り落とした。
はっと何かに気付いたデュバリーは目にも留まらぬ速さで、その場から移動した。奴が居た石畳はブロンズ色に変色していた。金色の粉が落ちたからか。まるでブロンズ像のような石化となっている。
「小賢しい。仲間がブロンズ像にされた事を根に持っているのか」
デュバリーが毒を吐いている間にも蝶達は奴を追いかける。あっという間に追いつかれ、再び粉が降り撒かれた。ところが蝶の群れは弾かれ、粉々となってデュバリーの体内へと吸い込まれていった。
――今の現象は……。
姿を消した蝶だが新たな群れが現れ、デュバリーを襲う。またしても先程と同じ現象が起き、蝶は煙のように飛散してデュバリーの体内へと流れ込んでしまった。
――間違いない。
クレーブスの吸収魔法と同じだ! それにオレが気付いた時、クレーブスの顔も険阻に変わる。
「気が付いたか? いくら放っても無駄だという事が」
デュバリーは愉快そうに喉を鳴らして冷笑する。
――やはりそうか。
まさかクレーブスが生み出した独自の魔法を盗むなど、予想を遥かに超える。
「私は無暗に攻撃魔法を放っていたわけではない。オマエの吸収魔法を亜流する為に仕組みを分析していたのだよ」
クレーブスは半眼になってデュバリーを睨み上げる。
「これはまさに亜流魔法だ。相手の魔法の術を自分のものにする。何故そんな事が出来るという顔をしているな? 人間は上級魔法使いと闘った歴史がないだろう。だから文献に記載がないのは当たり前だ。さてどうする? このまま攻撃を続けていたら、せっかく減らした私の魔力が回復してしまうよ?」
奴の言う通りだ。これまでと同じく攻撃していては倒す事は出来ない。
『クレーブス、どうするつもりだ?』
オレは心の声でクレーブスに話し掛ける。
『アクバール様、まだいらしたのですか! 早くお逃げ下さい!』
『奴に魔法を亜流され状況が悪いのを目にして逃げられるか! どうするつもりだ?』
クレーブスの答えを聞く前に、デュバリーが再び口を開いた事によって遮られた。
「このまま互いに吸収魔法をやっていてはプラマイゼロで面白味がないからね。こちらのやり方で闘いケリをつけようか」
――こちらのやり方ってなんだ?
いくらデュバリーが吸収魔法を使えるようになっても、クレーブスには攻撃魔法をかけても意味がない。
――奴はどうするつもりだ?
デュバリーの深紅の双眸から赤い光線が放たれる。光の先に出現したのは黒曜石のような色をもつグランドピアノだった。
――何故ピアノを出したんだ?
「芸術の都に相応しい舞台を見せよう」
デュバリーの声にピアノが独りでに演奏を始めた。鍵盤を波打つように弾き、旋律は荒れ狂う激情を表しているようだ。広い音程の跳躍が感情を揺さぶり不安や焦燥感を煽る。
「くっ」
音色に気を取られている間にクレーブスが攻撃を受け、呻き声を上げた。普通の人間の目には映らないであろう何か(・・)が空気を引き裂き、クレーブスを襲っていた。
――どうして吸収魔法が効かない?
疑問が解かれないまま、クレーブスの身は次々に裂けて血を噴き出す。
「あのピアノの演奏は感情を揺さぶるだけのものでないよ。音色の波数が刃となって攻撃しているのさ」
――そういう事か。
クレーブスであれば避けられそうな攻撃をまともに食らってばかりだ。
『クレーブス、どうした!』
『……吸収魔法が効きません』
『なんだと?』
『正確には吸収だけではないようです』
『どういう意味だ?』
「気付いたか? 今オマエの魔力は封じられているよ」
クレーブスよりも先にデュバリーが答えた。
――なんだと? 魔法が封じられている?
そんな馬鹿な話があるのか。
「亜流はほんのお遊びだよ。早くに封印魔法を使っては何の面白味がないからね。……おや、何故そんな魔法が使えるのかという顔をしているね? 分からないかい? 王太子の魔力をヴィオレが封印していただろう? 当然私も同じ魔法が使えるのだよ。その魔法を解くには私以上の魔力がなければ無理だよ」
――クソッ!
デュバリーの言葉にオレは舌打ちした。何故気付かなかったのか。己の落ち度に絶望の淵へ落とされる。目に見えない周波の刃がクレーブスの躯を切り裂いていく。
『クレーブス、今助けに行く!』
『駄目です、アクバール様! 貴方が出ても魔力を封印されたら意味がありません』
『しかし!』
行動を迷ったのが間違いであった。一際大きく波打つ波数の刃がクレーブスの目の前に飛来する。
――危険だ!
闘いの場に躍り出た時、クレーブスの前に何かが現れた。波数の刃は吹き飛ばされ、彼方へと消えた。
「ヴィオレ!」
前に現れたのは母上だった。彼女がクレーブスを庇って攻撃を弾いたのだ。
「もう止! これ以上彼を傷つけないで頂戴!」
母上は両手を広げてクレーブスを守る。
「……ヴィオレ」
その様子をデュバリーが無機質な顔色で見つめる。それからゆっくりと歩を進め、母上の方へと近づいていく。
「ヴィオレ。彼を傷付けて欲しくないのであれば、大人しく私の許へ来て下さい。そうすれば彼を傷つけませんから」
母上は苦渋に満ちた顔をして答えない。
「いいのですか? 彼が死んでも?」
「……っ」
デュバリーが指鳴らしをすると、クレーブスが頭から血を噴き出す。
「止めて! 彼を傷つけるのであれば、私を殺してからにして頂戴!」
母上はクレーブスの躯を引き寄せて包み込む。
「そうですか。…………では死んでもらいましょう、クレーブスと共に」
――!?
鋭利に光る刃物が見えた。デュバリーが巨大な鎌を出現させ、それを母上の腹部に深く貫いた。クレーブスごと……。
…………………………。
目の前で起きた衝撃が矢となってオレの胸を貫く。頭の中が真っ白に染まり、世界の色が失われた。言葉が出てこない。母上とクレーブスがその場に頽れる。母上は地に倒れると姿に異変が起きた。
――……ラシャ!
母上の姿に変化をしていた彼女の魔法が解かれたのだ。
――すなわちそれは……。
クレーブスとラシャの躯からみるみると鮮明な血が流れる。オレは二人を助けに表へ出た。出血は止まらず量が尋常ではない。オレは急いで祈るような気持ちで回復魔法を発動させたが、二人はピクリとも動かなかった。
――クソッ。
「無駄ですよ。即死ですから」
オレを見下ろすデュバリーが立っていた。奴はクスクスと嗤っていた。
「この娘が最後の切り札といったところでしたか? ヴィオレに変化させ、私の油断を狙ったのでしょうが、私がヴィオレを見間違う筈がないでしょう。私は彼女の顔つき、躯つき、声、話し方、香り、仕草、雰囲気、癖、すべてを知り尽くしているのですよ。ほんの少しの違いがあっても、すぐに気づきます」
「くっ……」
「馬鹿な考えが無ければ娘は生きられたのでしょうけど、残念ですね、……あぁ、でも愛しのクレーブスと共にあの世に行けたのは、せめてもの救いでしたかね。ふふふっ」
「黙れっ!」
デュバリーの暴言にオレはガッと目を開く。双眸から血色の光線がデュバリーの顔面を襲った。シュゥ――と固体が溶解する音と共に煙が上がる。デュバリーの顔全体は溶け、見るに堪えない容姿となる。
「己の愚かさをこちらのせいにしないで頂きたいものですね」
デュバリーは言いながら顔を元通りに戻した。
――ラシャの変化は完璧だった。
母上の姿となった彼女はオレの目から見ても違和感がなかった。だから彼女を最後の切り札として使ったのだ。策謀を立てたあの話し合いで、吸収魔法の話をしていた時だ。
「上手く行けば良いね」
神官の含みのある言い方はやはり懸念が拭えないのだろう。
「危うい時は切り札にラシャを使います」
――は?
今の言葉はオレが聞き間違いをしたのだろうか。
「おい、ラシャはオマエの婚約者だろ? その彼女を危険な目に合わせるのか?」
考えあっての発言だろうが、いくら何でも今回はリスクが高すぎる。下手をすればラシャを失うかもしれないというのに。
「だから切り札なんですよ。ラシャの特異の才能を生かします」
「オマエはラシャに何をさせる気だ?」
クレーブスは吸収魔法が失敗し、万が一の事があった場合、ラシャを母上の姿に変化させ、デュバリーの隙を作って奴の息の根を止めようとしたのだ。ラシャの変化魔法は完璧だったが、デュバリーの目を欺く事が出来なかった……。