Please54「彼等の関係がまさかの……」
魔法使いが姿を消した直後、一瞬で景色が一変した。目の前に飛び込んできたのは舞台の上で美しく楽器を奏でる楽師達の姿。
――♪~~♪~~…………。
そして間もなくして美しい演奏が終わりを告げた。
――いつの間に演奏し切っていたの?
演奏時間は約二時間ほどだと聞いていた。幕が開けてからすぐに魔法使いが現れ、私はまともに演奏を聴いていない。
――だというのに既に二時間が経過したというの?
身に覚えのない経過に、私の躯はブルブルと震え始める。
「……んか? ……レネット妃殿下?」
ハッと我に返る。目の前に凛とした顔のサルモーネがいた。
「妃殿下、演奏は終わりでございます。どうなさいましたか?」
余韻に浸っているとは程遠い私に、サルモーネが鋭い眼差しをして問う。彼女と目が合った瞬間、私の中で何かが弾けた。
「妃殿下!」
気が付けば私はその場から逃げ出していた。
――怖い怖い怖い怖い!!
恐ろしいほど湧き起こる恐怖から逃げるようにして、私は会場の扉から飛び出した。待機していた近衛兵達は何事かと仰天していたが、構わず私は走り出した。
「早く妃殿下を止めて!!」
背後からオルトラーナの叫び声が聞こえたが、私は振り返る事も足を止める事も出来なかった……。
*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*
ひたすら走り続けた。すれ違う人みなが驚異の眼差しを向けてきたが、私は構わず逃げ続けた。怖くて怖くて仕方なかったのだ。やはり魔法使いの監視から逃れられない現実に加え、愛するアクバール様の命まで脅かされた。
――アクバール様を失うなんて考えられない!
今となっては私は彼なしでは生きられない。アクバール様はあの森で出逢った運命の男性だ。
――どうして……どうしてアクバール様が……。
視界が溢れてくる涙で歪む。
――アクバール様に死んで欲しくない!
だから魔法使いの言う通り、二人で森に帰る事は出来ないのだろうか。でもアクバール様がその願いを受け入れるとは思えなかった。
――私はどうしたらいいの?
顔を両手で覆って泣こうとした時だ。
「お、お赦し下さい!」
――え?
女性の叫び声が聞こえてきて、私は辺りを見渡す。そして見知った顔の男女を見つけた。芸術品が並べられた飾り台の上に、女性が後ろ向きで男性に両手首を掴まれ、覆い被されていた! 思わぬ出来事に私の涙はピタリと止まる。
――え? あ、あの二人って!
「これまでオマエの目に余る行動を赦してきたけど、今日という今日は赦さないぞ!」
「スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン!」
「仕置きだ! ここで突っ込んでやる!」
「わぁ~!! こ、このような場所でお止め下さい!! 誰かに見られたら大変です!!」
――!!
私は茫然となって男女の様子を見ていたが、男性が女性の着ているローブの裾をたくし上げ、下着を無理に脱がせようとする行為を見て行動へと出た!
「ラシャさんに何しようとしているんですか!? クレーブスさん!!」
私は怒鳴り声をあげた。私はいつ誰が通るか分からない回廊で卑猥な事をしようとするクレーブスさんを非難する! 当の本人とラシャさんは私の姿を見るなり、ギョッと目を剥いた。それに構わず私は捲くし立てる。
「このような場所で自分の部下に手を出すなんて最低です! クレーブスさんを見損ないましたよ!」
以前から少し変わった人だとは思っていたけれど、性的な犯罪要素があったなんて! こんな人がアクバール様の近従なんて有り得ない!
――アクバール様に言ってクレーブスさんをクビにしてもらわないと!
そして私は急いでラシャさんをクレーブスさんから離して救出する。
「大丈夫? ラシャさん? もう大丈夫よ」
私は優しい声色で彼女を宥める。
「あのあのあのあの……」
彼女は辱めを受けた所を私に見られたからか、かなり動揺していた。顔を真っ赤に染めて何か言おうとしている。
「無理に何か言う必要はないわ」
そして私は彼女の躯をそっと抱き締める。
「レネット様……」
クレーブスさんから名を呼ばれ、私はキッと彼を睨み上げる。
「クレーブスさん! 今までもこんな狼藉を働いていたんですか! 絶対に私は赦しませんから!」
「確かにラシャが失敗をする度に仕置きはしておりました」
「なっ!」
クレーブスさんは弁明する様子もなくサラリと吐いた。開き直っている!?
「こんなやり方は間違っています!」
「レネット様」
「なんですか!」
「少し落ち着いて下さいませ」
逆に何故、彼の方が落ち着いているの!
「これが落ち着いていられますか!」
「あのあのあのあの……」
私の目の前でラシャさんがオロオロと挙動不審な行動を取る。そんな風に彼女をさせてしまっている事は申し訳ないけれど、ここは絶対に引けない!
「レネット様はご存知なかったのですね。ラシャは部下でもありますが、私の婚約者でもあります」
「……はい?」
「きゃっ! クレーブス様、そんなハッキリとおっしゃらなくても!」
目が点になっている私の前で、ラシャさんはさっきとは違う意味で顔を真っ赤して恥ずかしがっている。
――えっと何がどうなっているの?
『ラシャは部下でもありますが、私の婚約者でもあります』
私はクレーブスさんとラシャさんを交互に見る。
――クレーブスさんとラシャさんがそういった関係?
「えぇええええええええ――――――!?」
回廊全体に私のとんでもない絶叫が響き渡る。
「そのような反応をなさって当然です。私のような極美な人間とこのような平凡ボンな女子では釣り合いが取れないとお思いでしょう」
「いえいえいえ! そのように思ったわけではありません!」
シレッととんでもない事を言うクレーブスさんの言葉を即行で否定する。再度私はチラ、チラッと二人を見る。完璧主義者のクレーブスさんとちょっと抜けているラシャさん、二人が恋人同士だなんて……ちょっと信じ難い。
「やはり妃殿下も不似合いだとお思いなのですか?」
シュンと今にも泣きそうな顔をするラシャさんを見て、私はブンブンと首を横に振る。
「ち、違うわ! ……み、見た目で少し年の差を感じただけだから!」
と、私は誤魔化した。二人が同い年だという事は知っているんだけどね。
「クレーブス様は実年齢よりも上に見られますからね」
「ラシャが無駄に童顔なんだよ。外見はお若いレネット様よりも下に見えるからね」
「わ、私はクレーブス様と同い年の成人女性ですから!」
実年齢より上に見られるクレーブスさんと極端に幼く見えるラシャさん、見た目はかなり年の離れた兄妹のように見える。
「という事でレネット様、私にはラシャを好きにして良い権利がございますので、職権濫用ではありません。悪しからず」
「いえいえいえ! 何が好きにして良い権利ですか! いくら婚約者でも無体を働く事はいけません!」
「それよりもレネット様、何故お一人で行動なさっているのですか?」
「え? ……そ、それは」
クレーブスさんは上手い具合に話を私に転換させた。彼の表情は温度を感じさせない。今、王宮の内部は状況がごった返している。そんな中で私が抜け出して来た事を咎めているのが分かる。
「宮廷楽師の演奏を聴きに行っていました。そこでまた例の魔法使いが現れたんです」
「え?」
「れ、例の魔法使いですか!?」
私が魔法使いという言葉を出した途端にクレーブスさんの顔は険しくなり、ラシャさんは酷く驚駭した。
「それは本当ですか?」
さらにクレーブスさんの表情が鋭くなって私は怯みかけた。
「は、はい。舞台の幕があがったら、楽師団の姿はなく例の魔法使いが現れました」
「レネット様、ちょっと失礼します」
「え? ひゃっ」
いきなりクレーブスさんから左手を握られ、私は過剰に驚いたが、彼のとても真剣な様子に固唾を呑んだ。
「駄目だ、やはりブロックされている」
そう呟いたクレーブスさんはそっと私の手を離した。
――ブロックって何?
私はクレーブスさんの言葉の意味が分からず、眉を顰めた。
「シャットダウンされたんですね」
ラシャさんは意味が分かっているようだ。
「あぁ。レネット様の姿は何処となく見えたけど、魔法使いの姿は絵の具で塗り潰されたように映った」
「あの、クレーブスさんは私に何をされたんですか?」
蚊帳の外の私は状況を知りたくて問う。
「手を握らせて頂いたのはレネット様の少し前の記憶を読み取らせて頂きました」
「え? え? そのような事が出来るのですか!」
「はい。上級魔導師になれば一時間ほど前までではありますが、記憶を読み取る魔法が使えます」
「す、凄い魔法ですね」
まだまだ私にとって魔法は未知の世界だ。リアルに体感すると畏怖してしまう。
「記憶を辿らせて頂きましたが、残念ながら魔法使いの姿や声などは確認出来ませんでした。これは記憶を読み取られないよう、魔法使いがブロックしたのでしょう」
「そ、そんな事が……」
クレーブスさんの魔術も凄いけれど、魔法使いはもっと手強い。人の記憶をどうこう出来る力をもっているだけの事はある。
「レネット様があの場に居た堪れなくなって飛び出してきた事は分かりました。ですが今一人でいるのはとても危険です。それにサルモーネ達が心配しています。彼女達から先ほど貴女がいなくなった事を聞きました」
「す、済みません」
「肝心な時にラシャがレネット様についていなかったから、こういう事態を招いたんだ」
「ス、スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン……」
クレーブスさんに咎められたラシャさんは、いきなり壊れたようにスミマセンの言葉を繰り返す。
「わ、私は大丈夫だから落ち着いて、ラシャさん!」
「お赦ししては駄目ですよ、レネット様。ラシャは事もあろうに寝坊して、レネット様の傍を離れていたわけですから」
「スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン……」
さらにラシャさんは九十度に腰を折って詫びる。
「も、もしかしてそれでクレーブスさんはラシャさんにお仕置きをしようとしていたのですか?」
「そうですよ。明らかに怠慢なラシャが悪いです。それでレネット様が大変な思いをなさったのですから、ラシャをお赦しになってはいけません」
「うわぁ~!! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン! スミマセン……」
――あぁ~、クレーブスさんの意見も正しいとは思うけれど……。
幼く見えるラシャさんをどうしても同情してしまう。こんなに必死に謝っている彼女を赦せないなんて私には出来ない。
「ひ、一先ず私の身は無事だったので……」
――でも心はズタボロだ。
アクバール様の命が気になって恐ろしいのだ。そんな私の不安をクレーブスさんが察したのだろう。
「レネット様、困惑されているとは思いますが、どうか魔法使いとの出来事をお聞かせ願えませんか? 今後我々の行動に大きく影響しますので」
「はい、分かりました……」
私はとても気が重かったが、クレーブスさんとラシャさんに魔法使いとの出来事を話し始めた……。