Please52「リセット―白紙―」―Akbar Side―




「アクバール様!!」

 快味に浸る微睡みを妨げたのは忙しない声で人の名を呼ぶクレーブスだった。完全に覚醒していないオレは不機嫌極まりない。隣にはムニャムニャとした様子のレネットが眠っている。オレは躯を起こして、クレーブスに文句を投げつけようとした。

「クレーブス、寝室に入る時ぐらい礼儀を……」

 だが、最後まで言う事が出来なかった。それ程までにクレーブスの表情が酷く険しかったからだ。奴がこんな切迫した顔をするのは滅多にない。

「どうした? 何があった?」

 敢えてオレは落ち着いた声で問う。

「ヤラレました。先程ヴェローナ様とバレヌの二人を取調室に連れて行こうと声を掛けたのですが、彼等は記憶の一部・・・・・を失っておりました。駒として使われていた記憶だけ綺麗に抜き取られています。これは例の魔法使いの仕業ではないかと……」
「は?」

 オレはクレーブスの言う意味が理解出来なかった。

 ――記憶を失うって、そんな都合良く起きるわけがないだろ?

「ちょっと待て、それはどう見てもの罪を逃れる為の演技じゃないのか?」
「そう私も疑いました。しかし、自白魔法をかけても偽りだと漏らしません。記憶を失っているのは本当のようです」
「まず何故そんな状態になった? 一晩オマエと他の魔導師達は奴等を監視していただろ? 魔法使いといえど、牢獄に入れる隙は無かった筈だ」
「はい。その通りですが彼等の記憶は奪われました」
「何をやっている? これで叔父上の陰謀とその背後にいる魔法使いを引き摺る機会チャンスが失われたんだぞ?」
「返す言葉もございません」

 悄然とするクレーブスを目の前にして、オレは心底深い溜息を吐いた。冷静な声で話をしているが、腹の中は怒りの炎で燃え上がっていた。ようやく捕まえた証拠をみすみす逃すなんて有り得ない。

 ――とはいえ、己の監督不足でもあるな。

 他人のせいばかりには出来ない。オレも大事な時にレネットとの時間を選んだ。そのツケが回ったといえばそれまでだ。

「うー」

 張り詰めていた空気が一変する。隣からレネットの無邪気な声が聞こえてきた。オレとクレーブスの会話で目を醒ましたようだ。開かれていく双眸にオレの姿を映した彼女は微笑んだ。何とも愛らしい笑顔だった。

「おはようございます」と、挨拶をした彼女はサッと躯を起こす。そこで初めて彼女はこの部屋にクレーブスがいる事に気付き、刹那に凍った。オレもレネットも一糸纏わぬ姿をしているからだ。

 それを他人のクレーブスに見られたわけだ。案の定、彼女は悲鳴を上げ、すぐに掛けシーツで身を包む。それにより緊迫としていた空気がすっかりと霧散し、オレは頭を切り替えて支度を始めた……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 オレは仕事のスタイルとなったが、まだ寝室に残っていた。今、室内にはレネットとクレーブスを含めた三人のみ。それ以外の人間は立ち入り禁止にさせた。オレはカウチのソファに腰を掛け、足と腕を組んで考えを巡らせていた。

 ――それにしても魔法使いアイツはどうやってヴェローナとバレヌの記憶を抜いた?

 あの二人には雁字搦めの監視を付けていた。まず牢獄内部へ足を踏み入れる事は不可能だった筈。となれば離れた場所からの遠隔操作が考えられる。だが、クレーブス達魔導師が奴の魔力に何も感知出来ないのはおかしい。

 いや、あの魔法使いだ。常に何処かでレネットを監視しているのに、現時点で誰一人と奴の「気」を感じられていない。アイツは酸素にでも変化へんげ出来るのではないか。さすがにそれはないだろうという考えに至るレベルだ。

 ――何処までも煩わしい奴だ。

「潰された証拠はもうどうしようもない。新たに証拠を見つけるまでだが、どうせまた都合良く記憶を消されるのだろうな」
「恐らく」

 向かい側に座るクレーブスが厳しい表情で答えた。

「何をやっても無駄というわけか」

 そしてオレは投げやりに吐く。

 ――どうりで叔父上派の人間が余裕でいられるわけだ。

 オレの峻険な様子に隣に座るレネットが怖気づいていた。それを見たオレはすぐに表情を和らげる。

 ――一番不安なのは彼女だ。

 見えない相手に常に監視されている。ここでオレが諦めたら、彼女をずっと恐怖に苦しめる事になる。

 ――こうどうしようもないほど行き詰った時は……。

 オレは父上の助言を思い出す。

『面倒だと思っても白紙の状態で一から考え直す事が大事だ』

 父上がまだ生存していた頃、よく言われた言葉だった。王ともなれば幾度の壁にぶつかり、必ず息詰まる時が来る。それでも王は逃げてはならない。責任の重荷を父上は受け止め、この大国背負っていた。

 ――王の座を狙うのであれば、なんとしてでも解決策を見つけなければ。

 オレは黙祷するように瞳を閉じる。一度考えをリセットする。

「……叔父上は例の魔法使いに何の対価を与えたのだろうな」

 そしてどうやって接触したのかも疑問だ。現在、魔法使いは人間の住む地上に殆ど姿を現さない。それなのに叔父上は例の魔法使いとオレを排斥させる交渉に成功した。不意に出たオレの言葉に、レネットもクレーブスも驚いた目をしている。

「人間よりも凌駕する魔力を持つ魔法使いが手を貸したんだ。叔父上にしか出来ない対価なにかを求めた……という事になるだろ? それは一体何なのか」
「生憎そちらは分かり兼ねます」

 クレーブスがなんとも言えぬ表情をして答えた。

「そうだな」

 ――ここにオレは何か真相が隠されていると睨んでいる。きっと想像を超える何か・・だ。

「初めから物事を考え直そう。まずはオレが呪いをかけられた理由だ」
「それはヴォルカン様が王座を手に入れたかったからでしょうね」

 そう真っ先にクレーブスが答える。

 ――その答えで間違いないだろう。

 それに対し、最初に父上の病死を疑った。王座を狙う為に叔父上が病死に見せかけ殺した……という説も考えられなくはなかった。そして医師や魔導師の手によって徹底的に調べたのだが、結果父上は過労からくる脳出血死で間違いなかった。

 父上がこの大国を支える為に酷使していたのは知っている。自他共に厳しく自分を労わる事を知らない人だった。だから過労からくる突然死でも不自然はなく、最終的に「病死」という形で収まった。

「だろうな。だが、やはり叔父上は王に向いていない。根本的に素質がないな」
「そうですね。身体的な部分や性格も含めてです。そもそもヴォルカン様はあれほどアクバール様をあ……」
「クレーブス」

 オレは奴の言葉を遮った。それ以上言葉を続けられたら、こちらは不快だ。ギッと睨み上げるオレにクレーブスは口を噤んだ。レネットは怪訝そうな顔で疑問を口にする。

「どうして陛下が素質がないとおっしゃるのですか?」
「レネット、叔父上が未婚なのは知っているか?」
「そういえば……」
「叔父上は身体的に子を作る事が出来ないんだ。それもあって彼は王位を継ぐ事をはなから考えていなかった。そしてオレが生まれてから、尚更その傾向は強まった」
「では何故、急に王座に就こうとなさったのでしょう?」
「急に欲に目が眩んだのかもしれないな」
「ですが、世継ぎの件は解決されませんよね?」
「そうだな」

 ――オレが王座に就かなければ、今後ダファディル家の血は途絶える。

 本当にそうなれば別の人間に王位継承権が渡される。一番有力なのがアイツ・・・か。思い浮かんだ人物にオレは舌打ちしそうになった。アイツが王座を狙っている可能性があると、奴の生い立ちと現在に至るまでの経緯を洗いざらい調べてみたが……。

 ――嫌というほど経歴が綺麗で怪しむ箇所がなかった。

「他に何か考えられる理由はないのでしょうか?」

 オレとクレーブスは軽く目を丸くした。王座に就くなんて欲以外に考えられないものだが、レネットは他に何かあると考えたようだ。さすが純真な彼女だ。

「叔父上が王にならなければならなかった理由が他にあるという事か?」
「は、はい。他に理由なんて難しいかもしれませんが、可能性は広げておいた方が良いかと思います」
「……そうだな」

 レネットには悪いがオレは浮かない声で返事をした。魔法使いを利用して血の繋がったオレに呪いまでかけた人間に、欲以外に理由があるのだろうか。

 ――呪いといえばだ。

「オレにかけたこの呪いも随分と中途半端だな」
「中途半端と言いますと?」

 レネットが可愛らしく首を傾げて問う。

「相思相愛の相手が見つかれば、声は取り戻せるだろ? 呪うのであれば二度とオレが復帰出来ない内容にすれば良かったと思わないか? そうだな、例えば醜い魔物のような容姿にするとか、躯が動かせないほどの病をかけるとか、或いはストレートに亡き者にするとかな……」
「た、確かに。こ、怖いですけど」

 オレが怖い事を言うとレネットは切な気な表情を浮かべる。

「何処か情けがかかった呪いですよね」

 さり気なくクレーブスが補足する。

「そうだ、絶望的な呪いをかけなかった。単純に情けなのか、それとも別に何か理由があるのか」

 オレを完全に亡き者しなかったのは父上に続いてとなり、あらぬ疑いか掛けられると危惧したからか。

 ――現時点で何かしら事情を知っているのは……叔父上以外であの二人・・・・だろうな。

 既にクレーブスにはあの二人と接点を取って記憶の読み取りをさせてみたが、あろう事に二人とも読み取る事が出来なかった。

 ――やはりあの二人は怪しい。

 次のターゲットはあの二人に絞るつもりだが、下手に接触を試みればヴェローナやバレヌのように記憶を消されてしまう恐れがある。それをどう打破するか……。

「何処までも完璧だな、あの魔法使いは」

 皮肉にもオレは憎い相手を褒める言葉を洩らした。

「何をおっしゃるのですか? 完璧なんて有りませんよ。この麗しい私以外で」
「は?」

 クレーブスがとんだふざけた言葉を吐いた。

「クレーブス、何を言っている? レネットが完全に引いているぞ」

 案の定、彼女は冷え切った視線を奴へと向けていた。今のこの空気に悪ふざけは痛いだろ? しかし、当の本人は真面目にこう返してきた。

「本当の事を申したまでです」
「そう自負するのであれば、言われている仕事も完璧に熟せ。ヴェローナとバレヌの件は完璧な人間が仕出かしたヘマだとは思えないぞ」
「申し訳ございませんでした」

 なんだ、この潔い詫びは?

 ――ったく、重々しい空気を打破させたかったのだろうが、ふざけ過ぎだ。

 生まれた時からコイツは一緒にいるが、未だに意味不明な事が多い。

「あ、あのお話がズレてしまっています」
「全くだ、クレーブスのせいだな」

 と、オレとレネットは奴を痛々しい目で見つめるが、当の本人は素知らぬ顔をしている。やっぱ太々しい奴だな。

「悪ふざけはここまでだぞ、クレーブス。次こそ失敗しない方法を考えるぞ」

 それが如何に至難の業か頭を抱える。さらに今後予想もつかない展開が待ち受けており、オレ達は運命に翻弄されていく……。





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