Please45「紐が解かれる時」




 私の頭の中は真っ白に塗り潰されていた。目の前で起きている出来事が現実だと思えなかった。この扉・・・の向こうでアクバール様とヴェローナさんが、身を寄せ合い親密そうに話をしている。

 ――とうとう二人は想いが通じ合ったの?

 そう思った瞬間、私は胸が焼き潰されそうな感覚に襲われ、呼吸がままならなくなった。頭の中でずっと願っていた事なのに、現実となった今、喜びとは真逆な感情で滲んでいた。

 ――なんで? どうして?

 答えを出せず闇の中を彷徨うように、胸の内がどんどん苦くなり、躯全体に汗が滲み出る。その苦しさは肥大していき、黒い感情が渦巻いていく。とんでもない負の感情に身が切られそうになる。

 ――まさか、私……。

 気付いてはならない答えに辿り着きかけた時、その場に異変が起こった。

『私が王太子を愛しているという話が偽りだからです』

 ヴェローナさんから耳を疑うような声が聞こえた。今朝までの私であれば、その言葉を疑っていただろう。でも今は私を捕らえていたフィヨルドさんの話で、アクバール様に対するヴェローナさんの想いには疑問を抱いていた。

 フィヨルドさんは言った。ヴェローナさんはアクバール様を愛していないと。それは二人が婚約をしていた時も、そして現在もだ。二十年前、何故ヴェローナさんが呪いを解く事が出来なかったのか。それは彼女がアクバール様を愛していなかったからだ。

 彼女はアクバール様と婚約を結ぶ前から、フィヨルドさんと親密な関係であった。それを聞いた時、フィヨルドさんの欺瞞に満ちた言動にしか聞こえなかったが、彼がアクバール様の呪いを知っていた時点で、ヴェローナさんとの関係に信憑性を感じられた。

 だから二十年前のヴェローナさんではアクバール様の呪いは解けなかったのだ。考えてみればアクバール様とヴェローナさんが相思相愛であれば、あの呪いをかける意味がない。魔法使いは最初からヴェローナさんの気持ちを知っていて、あの呪いをかけたのだ。

 結果アクバール様は声を失って人気ひとけのない森へと追いやられたが、フィヨルドさんがヴェローナさんと一緒になる事はなかった。何故ならヴェローナさんはすぐに今は亡きマルベリー公爵の元へと嫁いだからだ。

 あれから二十年もの間、フィヨルドさんはヴェローナさんの事が忘れられずに、ずっと思ってきた。そして数ヵ月前にマルベリー公爵が亡くなり、フィヨルドさんは今度こそヴェローナさんと一緒になれると思ったが、ヴェローナさんから相手にされず、その原因がアクバール様にあると考えた。

 それはそう勝手にフィヨルドさんが解釈しているだけで、実際は全く違う。ヴェローナさんはアクバールを慕っているから、フィヨルドさんを避けていると思っていたのに、それはとんだ思い違いだったというの?

 ――トンッ。

 知らず知らずの内に、私は後退していて背中に何かが当たった。そうだ、背後にはバレヌさんがいたんだ。日中に彼と遭った時、私はアクバール様に会わせて欲しいとお願いをした。でもそれは叶わなかった。まさかアクバール様が監禁されていたなんて。

 それでも私が会わせて欲しいとバレヌさんに懇願すると、彼は理由を問いてきた。私に答えられる筈がなかったが、理由がなければ会わせようにも会わせられないと言われ、思わず私はヴェローナさんはアクバール様を愛していないと答えた。

 するとバレヌさんは彼と知り合いの守衛が監視している時間帯に、アクバール様に会えるよう話をつけてくれた。そこまでやってくれた彼には申し訳なかったが、私は以前受けたプロポーズを断った。過ちを犯した私が別の男性と一緒になるなんて考えられない。

 それから約束の夜を迎え、私はバレヌさんと共にアクバール様が監禁されている塔へと足を運んだ。まさかそこにヴェローナさんが居て、こんな・・・最悪な事態が起こるだなんて。私が自分の任務を放り投げ、ヴェローナさんを頼ろうとしたばかりに……。

 ――私は本当にとんでもない取り返しのつかない過ちを犯した。

 アクバール様の声を戻す希望が完全に失われてしまった。

「王太子とレネット妃殿下のお心がすれ違った時点で、再び貴方のお声は失われました。王太子、もう王宮ここでの貴方の居場所はございませんよ」

 私が茫然としている間にも、ヴェローナさんは容赦のない現実をアクバール様に叩きつけた。彼は愛する女性も立場もすべて失われたのだ。私は救いを求めるようにして、背後に立つバレヌさんに視線を送った。

 ――え?

 ゾクリと駆け上がった悪寒に背が凍りつく。私と同様にバレヌさんはショックを受けていると思っていたが、彼は意味ありげな含み笑いをしていた。それがとても不気味だった。

 ――何 が そ ん な に オ カ シ イ の ?

 バレヌさんが私の視線に気づいて視線が重なる。しかし、彼は私の事は何でもないという素振りで、視線を外して部屋の中へと入って行った。

「え?」

 思わず私は声を洩らした。今この部屋の中には只ならぬ雰囲気のアクバール様とヴェローナさんがいるというのに、この人は何を考えているの? そして私の抱いた懸念は思わぬ方向へと向かう。

「あら、やはりういらして・・・・いたのね」

 近づく靴音に気付いたヴェローナさんはバレヌさんの姿を見るなり、実に親しげに声を掛けた。

 ――え? この二人は……知り合いなの?

 体温が失われていく感覚に襲われる。二人が知り合いというだけで、とてつもなく恐ろしい気持ちにさせられた。そしてヴェローナさんの隣に並んだバレヌさんが答える。

「えぇ。今宵は面白い宴にお招き頂き、光栄ですよ、ヴェローナ様」

 ――“面白い宴”?

 自分の表情が歪んでいくのが分かる。この芳しくない状況を面白い宴と答えたバレヌさんが異常な人間に見えた。

 ――アクバール様……。

 私は今にも泣き崩れそうな思いで彼を見つめると、彼はヴェローナさんとバレヌさんの二人に視線を向けて口元を動かした。

『オマエ達はグルだな?』

 私にはそう聞こえた。それは私も抱いた疑惑で、この二人は最初からアクバール様を貶める為の共犯者だ。バレヌさんはこれまで私に尤もらしい助言をしてきたが、それらすべて私とアクバール様を引き離す為のものだったのだろう。

「王太子、此度の件は大変気の毒に思っておりますよ。ですが、貴方はう王宮ここに居てはならない方です」
「近い内にまた貴方は森のお住まいに送られますわ。今度は妃殿下とは別になられてしまうでしょうけれど」

 バレヌさんとヴェローナさんはアクバール様のお声が出ない事をいい事に、平然と罵詈雑言を並べていく。

 ――アクバール様がこんな思いをしているのは私のせいだ。

 私には何一つ口出しする権利はない。でも気が付いたら私はアクバール様の方へと駆け出し、彼に縋るようにして腕を掴んでいた。

「アクバール様、わ、私は取り返しのつかない事を致しました! ヴェローナさんの活躍を目にすればするほど、自分は非力でアクバール様の何の役にも立てないと、ずっと思い悩んでおりました」

 必死に伝える私をアクバール様は大きな瞳を揺らして見つめる。

「ヴェローナさんの方がずっと王太子妃に相応しいと思い、彼女に貴方を託そうとしました。でもその行為は間違っておりました!」

 ――ヴェローナさんはアクバール様を愛していないから。

 それもある、でも何より間違っていたのは……。

「わ、私は……アクバール様を……愛して……おります。貴方への気持ちは断ち切れたと思っておりましたが、そうではありませんでした。先程ヴェローナさんと身を寄せ合うアクバール様を目にして気付きました。自分は悋気していると」

 感情が高まり、私は涙をボロボロに零して伝える。アクバール様をヴェローナさんに託すと決めていたのに、それを心の何処かで現実的に思っていなかった。でもいざ現実となった時、嫉妬で心臓が抉らるような痛みを味わった。

 ――そこで今でも私はアクバール様を愛していると気付いた。

 私はアクバール様への想いを閉じる事で逃げ道を見つけた愚かな人間だ。

「私にアクバール様を愛していると言う資格がないのは分かっています。貴方から心を離した事、それに先日の賊に襲われそうになった貴方を私は足が竦んで守れませんでした。いつも私は保身ばかりで何の力もありませんが、それでも貴方を愛しているんです!」

 思いを伝えれば伝えるほど、涙が止めどなく溢れ、アクバール様の姿が歪む。

「レネット妃殿下、何をどうおっしゃったところでも、もうすべてが手遅れですよ、再び貴女が王太子を愛したところでも、王太子はもう貴女を愛しておられない」

 バレヌさんから何を今更と呆れ顔で言われる。

「それは分かっております。アクバール様、このような事になってしまい、本当に……本当にごめんなさい」

 ボロりとまた大きな涙が零れ落ち、私は顔を伏せようとした。そこにふわっと頬を掴まれ、グイッと顔の角度が上がった。すぐに唇に温かな熱が注ぎ込まれ、それがアクバール様の柔らかな口づけだと気付いた。

 ――アクバール様……?

 一つ口づけを落とされた後、アクバール様はそっと唇を離し、真っ直ぐに私の瞳を捉える。

『大丈夫、大丈夫だ』

 彼の表情がそう言っているように見えたのは私の都合の良い解釈だろうか。けれど、それが思い違いではない事を知る。アクバール様は私の耳元に唇を近づけてきて……?

「大丈夫だ、オレは声を失っていない」

 そう秘かに囁いたのだ。私は心臓が飛び出しそうなほど驚いた。

 ――え? い、今アクバール様、お声が?

 私が驚いて硬直していると、

「久々に人前で声を出すな」

 今度はヴェローナさん達にも聞こえる大きな声をアクバール様は堂々と出した。

「王太子、声がお戻りになったのですか!」
「何故!? 王太子の心は妃殿下から離れていらっしゃるのではありませんか!」

 ヴェローナさんもバレヌさんも二人とも、先程までの余裕が消え動揺している。

「見れば分かるだろう? オレとレネットは相思相愛だ」
「お声を失っておられたではありませんか! …………まさか?」

 ヴェローナさんの表情が蒼白していく。

「あぁ、やっと気付いたか? そうだ、オレ達は愛し合ってから片時もその想いが離れた事はないからな。声を失う筈がないだろう?」

 ――え? ……そ、それってまさか?

「レネット妃殿下も含めて我々を騙していたという事ですか!」

 バレヌさんの言葉をアクバール様は怖いほど綺麗な笑みで返す。

「さぁ、せっかく役者が揃ったところで紐を解いていこうか。まずはヴェローナ、オマエがオレを愛していない事など、とうにオレは気付いていたぞ」

 ――え? それはどういう事?





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