Please34「王太子妃に相応しいのは」




『私には何も致す事はありません』

 バレヌさんとの初レッスンの最後に、私はハッキリと自分の意思を伝えた。アクバール様の気持ちは彼自身が決める事だ。私がどうこう促すものではない。バレヌさんは「そうですか」と、すぐに引き下がったものだから、私は拍子抜けしてしまった。

 ただそう私が答える事も想定内・・・といったようにも見えた。だから妙に落ち着いていたのではないか。あまりむやみやたらに人を疑いたくはないのだけれど、アクバール様に関する事だし、妙に疑ぐり深くなってしまう。

 あれから三日ほどバレヌさんとのレッスンは続いているが、初日以来あの話が口に出される事はなかった。だから私の方も何も報告をしていない。妙に騒ぎ立ててアクバール様の心配事を増やしたくないもの。

 ――というよりも、アクバール様に元婚約者ヴェローナさんの事を意識されても困るし……。

 まだヴェローナさんと会った事はないが、彼女の噂は常々私の耳に入ってきていた。彼女のお祖父様は元宰相であり、かなりの辣腕家で当時国王だったアクバール様のお父様の片腕となって国を支えていたそうだ。

 そしてヴェローナさんのお父様は宰相をお継ぎにはならなかったが、それでも武官の地位をもっている。とういう事でヴェローナさんは根っから王族だ。幼い頃から最高貴族の中で育った淑女レディで、誰もが口を揃えて彼女を才色兼備だと讃える。

 何より彼女の仕事の活躍ぶりは本当に凄い。まずは独自に開発された肌荒れを修復し美肌を作る化粧品ファンデクリームは、炎症抑制効果が特徴の肌にとても優しい天然成分が配合されている。

 そこに肌のハリ、弾力、潤いを保つ成分や外部刺激から守る角層のバリア機能をもつ成分まで加えられ、見た目が大変美しい肌に仕上がると、貴族の女性の間で爆発的な人気を博している。

 化粧品以外にも彼女がデザインしたスタイリッシュなドレスや宝飾品なども同様に売れ、また姿絵も大変人気が高く、民衆が一生涯かけても稼げないほどの値がつけられている。さらに彼女の人気はまた別にある。

 孤児院や修道院など訪問して支援する姿も高い評価を受けていた。またゼファ公爵の元に嫁ぐ前は男性家族の仕事の補佐までされていたとか。そんな彼女の活躍はかれこれ二十年以上も前から始まっているそうだ。

 レッスンの教師達の口からも、ヴェローナさんは良い例としてよく挙げられている。毎日教師に怒られている私とはえらい違いだ。そんな劣等を感じながら、今日も私はレッスンを受けていた。今はあのバレヌさんとの時間だ。

「妃殿下、我が国のペンシルバニア魔法学院がトップを誇れた一番の理由は何かご存じでしょうか」
「奨学金制度の導入でしょうか。その制度が作られた事によって、魔力をもつより多くの人間が魔法学を学べるようになりました。一般の民衆には有難い制度ですよね」
「その通りです。その奨学金制度を導入したきっかけは金銭面で学院に行けない者の魔力を眠らせない事でした。魔力はとても希少です。身分のない民衆や孤児からも能力を引き出し、社会的な貢献を図りたいと考えられていました。というのは勿論理由の一つではありますが、真の理由は退魔士の数を増やす事でした」
「退魔士ですか?」

 退魔士とは魔物を討伐する者の事を言う。それは大変危険を伴う仕事で、国が定めた特別な組織で結成されている。

「我が国は魔物が最も厭う聖獣の生息する森に囲まれ、また年の半分近くが白夜により、夜行性の魔物が寄り付きにくく、比較的安全な地帯でした。しかし、その安全も二十年ほど前から、徐々に崩れてきました」
「それは何故ですか?」

 私は素朴な疑問を思ってバレヌさんへと問う。この国は安全じゃないの? これまで私が生きてきた限りでは魔物から襲われる事件に遭遇した事はない。

「それは魔物の増加です。その原因は未だ不明ではありますが、魔物の増加によって多くの退魔士が必要となりました。ですが当時、退魔士が魔物に次々と殺される事件が相次ぎ、退魔士を志願する者が急激に減ってしまいました。それによって我が国は魔物を対処し切れなくなり、さらに魔物が他国へ流れるという深刻な問題にまで発展しました」

 バレヌさんは淡々と説明していく。そこまで深刻な話になっていたなんて知らなかった。魔物の件もヴェローナさんの話も私の耳に入らなかったのは、ちょうど私が田舎の森へ移った頃だからだ。

「その後どうなったのですか?」
四国たいこくの助力を得て魔物を退治し、危険から遠のく事が出来ました。その後、我が国は新たな退魔士を育成する事が義務付けられ、ペンシルバニア学院に奨学金制度の導入がされました。また魔物退治に助力した四国からの留学生には学費の一部を完全に免除する形を取っています。奨学金制度は学院側が、他国留学生の免除は国が責任をもっておこなっていった結果、退魔士組織も安定し、ペンシルバニアは予想以上のマンモス学院として発展しました。我が国は今後も学院を助成していくつもりです」
「そのような経緯があったのですね」
「えぇ。補足ではありますが、ペンシルバニア学院は学院生の数に対して随分と建物が大きいと感じませんか?」
「? ……そういえば大きいですね」

 問われて私はポワンと頭の中に学院の外観を思い出す。そう何度も見た事はないが、膨大な敷地にいくつもの瀟洒な建物が並んでいるイメージだ。

「外観からは想像もつきませんが、実はあそこの地下は避難場所となっております」
「避難場所ですか? それはまた何故ですか?」
「一度我が国は魔物に危険を侵されていますからね。民衆を守る上で設計して作られたものです」
「それは凄いですね。しっかりと計画した上で民衆を守っているのですね」
「えぇ。避難所もですがペンシルバニア学院の奨学金制度など、これらの発案はすべてヴェローナ様から出されたものですよ」
「え?」

 ヴェローナさんの名が出て私は素で強張ってしまった。

「あの、厚生省や財務省が関わるような事業を何故、彼女が携わったのでしょうか?」
「彼女は福祉活動などして外の世界をよく見ておられますからね。気が付いた点を厚生省へ発案されています」

 携われるだけでも凄いと思うのに、意見が通るだなん何処まで彼女の力は偉大なのだろうか。

「元第一王太子妃候補として挙げられていただけあり、彼女は非常に努力を惜しまない方でした。それはゼファ公爵の元へと嫁いだ後も、そして現在も変わっておられませんね」
「それは王太子妃ともなる人間はそれだけの力を持っているべきだと言いたいのでしょうか」

 私は少し八つ当たりな言い方をしてしまった。遠回しにヴェローナさんほどのレベルを求めていると言われている気がしたし、それにヴェローナさんを第一王太子妃候補なんて口に出されて、少し私は不快に思った。

「いいえ、稀な方ですよ。あそこまでのレベルは歴代の王太子妃の中でもトップです。彼女の場合、バックが宰相の御祖父と武官の御父上ですので、意見を通せる機会が多いのでしょう」
「そうですよね」

 バレヌさんなりにフォローを入れてくれたように見えたけど、私の心は浮かなかった。私には世に影響を与えるほどの実力なんてものはない。

 ――もしヴェローナさんが王太子妃だったら、さぞ民衆から愛される妃殿下になっていた事だろう。

 私ではそうなれない。アクバール様の隣には相応しくない。日々なんとか持ち堪えていた心がまた途方もない底へと沈んでいった……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

「何を笑っているんですか?」

 湯浴みからあがって寝室に戻ると、寝台の上で微笑んでいるアクバール様を目にして、思わず私は尋ねた。

「思い出していた。オマエが呪いを解く方法を教えて貰ったとオレに奉仕した時の事を」
「なっ!」

 とんでもない答えを返されて、私は言葉にならなかった。アクバール様の呪いを解く方法だと教えられたアレ・・は私を騙す為の嘘だった。クレーブスさんを魔法使いと偽り、呪いを解く方法だと教えられた内容はとんでもない事で!

 ――見事に私はアクバール様とクレーブスさんのおいた・・・に騙され、卑猥な事を実行してしまった……。

 そんな私の様子をアクバール様は悪戯な笑みを浮かべて、とても嬉しそうだ。カアーと私の怒りのバロメーターが上がっていく。

「へ、変な事を思い出して笑わないで下さい!」

 プイッと私はアクバール様から顔を背けて鏡台ドレッサーの椅子へと腰かけた。

 ――もうっ、こっちは色々と悩んで情緒不安定だっていうのに!

 アクバール様は呑気なものだ。私は髪の毛を乾かそうと、専用の器にアロマオイルを垂らして風を吹かす。ふわふわとした風が髪の周りを纏い、髪の水分を拭っていく。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 数十分後、髪を乾かし終えた私は寝台に入ったが、すぐにブスッとした顔になった。

「まだ笑っているんですか?」

 そう、アクバール様がまだニヤついていたからだ。私が奉仕した時の事を思い出しているのかと思うと、さすがに腹が立ってくる。こっちは記憶から抹消してしまいたいぐらい恥ずかしい思いをしたというのに!

「違う。オマエの姿を見てこの先いい女になるだろうと期待していたところだ」
「えっ」

 私は予期せぬ褒め言葉をもらって目を丸くする。そして顔にジンジンするぐらい熱が集約してきた。

「そ、それは光栄です」

 お礼の言葉を伝えると、私は頭の上にまでスッポリと掛けシーツを被った。いきなり褒めてきたアクバール様はズルイ。怒りのバロメーターの数字が下がってしまったではないか。布団の中で悶々と考えていたら、いきなり掛けシーツを剥ぎ取られてしまった!

「な、何するんですか」

 私は如何にも不満といった顔で問う。当のアクバール様は飄々とした様子だ。

「毎夜思っているんだが、どうせ脱ぐのだから寝衣を身に纏う必要ないだろう」
「な、何を言っているんですか!」
「それともオレに脱がされるのが好きなのか?」
「そ、そんな訳ないじゃないですか!」

 アクバール様の被害妄想を即否定したら、いきなり彼からババババッと夜着を脱がされた! いつも思うけど、彼の脱がし方は神業だ!

「ま、またこんな無理矢理! は、恥ずかしいじゃないですか! 燭台の灯りも消していませんし!」

 私は躯を起こして怒りを露わにする!

「安心しろ。オレもすぐに裸体になる。これでオマエ一人が恥ずかしい思いをしなくなるからいいな」
「そ、そういう問題ではありませんっ。変な屁理屈をぶつけてこないで下さい!」

 ――信じられない! アクバール様のご都合主義にはついてけない。

 私はそそくさ掛けシーツを躯に覆って仰向けになる。じとっとした目でアクバール様を見上げれば、彼から全く悪びれた様子が感じない。おまけに寝衣を脱ぎ始めている!?

 ――た、食べられる!

 ドクドクドクと危険信号が鳴りやまない。そしてアクバール様はすべて脱ぎ終えると、私の前に圧し掛かるような体勢となった。

「……レネット」
「な、なんですか?」

 嫌に綺麗な笑顔を見せるアクバール様の顔が怖すぎる。私は露骨に警戒心を剥き出しとなった。

「呪いを解く方法をもう一度やってみてくれないか?」
「は……い?」

 私は目をしばたかかせる。

 ――今アクバール様はなんて?

 呪いを解く方法をもう一度やって欲しいって言ったよね?

「……あの、呪いは魔法使いにしか解けないのではありませんか?」

 だから私に呪いが解ける訳がない。そんな分かり切った事を何故アクバール様はお願いしてきたの?

「いや、もう一度クレーブスに言われてやってくれた事をして欲しいんだが」
「なっ!」

 私は驚きの声を洩らし、露骨に顰め面となる。クレーブスさんに言われてやった事って、まさか「あのご奉仕」の事を言っているんじゃ!?





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