Please30「あの人物の正体は……」




 前夜祭の時にカスティール様から言われた事、今日の祝宴会で貴婦人達から嫌味を言われ、さらにワインまで掛けれそうになった事。そこにバレヌさんが現れて私を庇ってくれた事。

 私はたどたどしい口調で話をしていたが、アクバール様は一つ一つの話にきちんと耳を傾けてくれて、カスティール様の件も、お母様だからといって偏見される事もなく、最後まで話を聞いてくれた。

「そうか。随分と苦しい思いをさせて悪かった」

 私の話が終わると、アクバール様は一番に謝って私の頭を優しく撫でる。その行為に私の涙腺がまた緩みそうになったけれど、グッと目に力を入れて我慢した。泣いてばかりいてはアクバール様の心がより痛んでしまう。

「いえ、アクバール様が悪いわけではありませんから」
「いや、母上との事は気になっていたが、昨日の内に聞いておくべきだった。後回しにして済まなかった」
「い、いえ。昨日はアクバール様のお戻りが遅かったですし、それに……」

 ――!!

 私は言葉を続けようとしたが、すぐに口を噤んだ。

 ――昨日お戻りになったアクバール様とすぐに、ゆ、湯浴みで……。

 あ、あんなエッチな出来事があって、真面目に話をする時間なんてなかったもの!

「レネット?」
「な、なんでもありません」

 名を呼ばれて私は咄嗟に答える。私のモジモジしている理由をアクバール様は気付いたみたいで、それ以上は何も突っ込まなかった。

「そうか、母上の件は確認しておく。庇うつもりはないが、母上は理由もなしに人を傷つけるような人ではない。何か余程の理由がある筈だ。それが分かったらオマエに伝える」
「分かりました」
「そしてワインの件もだな。やはりオマエから離れるべきではなかったな」
「いえ、あの時は陛下から呼ばれていましたし、仕方のない状況でした。お気になさらないで下さい」

 ――そういえば……。

 ここで私はある事を思い出した。

「実はあのバレヌさんですが、昨日の前夜祭でも見掛けました。彼の存在に気付いのは彼が私の事を見ていたからなんです」
「なんだ、オマエに一目惚れでもしたのか」
「そ、それは、ち、違うと思います! 昨日、私を見ていたバレヌさんの視線はそういったものではなくて、監視しているような鋭い眼差しだったんです!」
「へー」

 と、何処か胡乱な様子のアクバール様だけど、私は嘘は言っていない。

「本当ですよ。私が視線に気付くと、バレヌさんはすぐに目を逸らしたのですが」
「そうか……」

 そう短く答えたアクバール様のお顔がとても神妙だった。何か心当たりの事でもあるのかな。

「アクバール様、何かご存じなのですか?」
「レネット、昨日オレが言った忠告だが、もう一度言っておく。王宮ここではむやみやたらに人を信じるな。オマエは人が良い。疑わないところがオマエの長所でもあるが、ここではそれが命取りとなる」
「は、はい。あのどうして今それを?」
「誰がオマエの敵なのか、今のオマエには分からないだろう? であれば誰も信じない事が一番自分を守れる」
「そ、そうですね」

 と、私は答えたものの本当は疑うよりも信じる方が良い。とはいえ、アクバール様は私が自分を守れる最良の方法を教えてくれたのだ。それを守らなければ私は痛い目に遭うのだろう。

「それとオマエにワインをかけようとした女性達の対処もしないとならないな」
「そちらは大丈夫です」

 ああいった女性達は今後も現れるだろう。今後はきちんと私が気構えをし、上手く対処する事で穏便に終わる。

「王太子妃に対する不敬罪だ。今後、同じ事を起こさない為にも、きちんと対処すべきだぞ」
「本当に大丈夫です。ああいう方々を相手にして上手く交わす事も勉強の内ですから」

「わかった。やはりオマエは強いな。だが、本当に辛くなった時は遠慮なく言うんだぞ」
「はい、お心遣いを有難うございます」
「あとは何かあったか?」

 そうアクバール様から問われ、自分の顔が強張るのを感じた。まだ私はあの悪夢・・について話をしていなかった。きちんと話しをするかまだ迷っていた。

「レネット、何かあったのなら話をしてくれ」

 ここまで真率な顔をしているアクバール様に、誤魔化す気にはなれない。そもそも誤魔化す事が出来ないだろう。

「あ、あの……実は祝宴会で奇妙な体験をしました。とても信じ難い出来事だったので、お話をしようかどうか迷っていたんです」
「奇妙な体験? もしかして様子がおかしい時があったが、そのせいか?」
「そうです。ワインの事件が起きてバレヌさんと話をしていた時でした」

 私は話し始めたのはいいけれど、躯が徐々に震え上がってきて、まともにアクバール様の目を見て話す事が出来ない。

「突然に辺りが仄暗い世界へと変わったんです。そこは祝宴会の広間ホールではあったのですが、時が止まったように誰一人と動いていませんでした」

「なんだそれは?」

 やっぱりアクバール様は信じられないとでも言うような難色を現していた。でも事実だ。私は信じて貰おうと必死で話を続ける。

「ほ、本当です! 私以外の人間がまるで人形のように止まってしまっていて、そこにある人の声が聞こえてきました」
「ある声だと? 男か? 女か?」
「どちらとも言い難い中性的な声でした」
「中性的?」

 アクバール様が顔を歪ませる。中性的に反応したようだ。

「それでその声はなんと言っていたんだ?」
「一番最初に面白い舞台が始まったようだ、本当の宴はこれからか、というような事を言っていたような気がします」
「他には?」
「わ、私には魔力がないのに、何故その人の声が聞こえたのか不思議がっていました。その力は“あの魔導師”か、それとも“王太子”なのかと問うてきました」
「あの魔導師が誰かは分からんがオレの力? オレには全く魔力なんてないぞ。父上も母上もどちらも純粋な人間だからな。血統にすらいない筈だ」
「そうですよね。私も不思議に思いました」
「それで他に何て言っていた?」
「その人の存在はどんな優れた魔力をもつ人間でも分からない筈なのに、私は気付いて興味深いと。今後は私の事を目に留めておくと言っていました」
「監視という事か?」
「恐らく」

 …………………………。

 アクバール様は口を閉ざし、何かを考えているご様子だった。どんな考えを抱いているのか、私には見当もつかない。

「相手の姿を見たか?」
「は、はい」

 私は返事をすると、ガタガタと躯が震え始めた。あの人物の姿を浮かべるだけで戦慄が走る。

「どうした?」

 私の変化にアクバール様は鋭利な眼差しで問う。

「あの、あの、顔の半分が酷く爛れた人でした」
「顔が爛れていた?」
「は、はい」
「ソイツの瞳の色を憶えているか?」
「いえ、顔の爛れに目が行ってしまって他の特徴が掴めませんでした。辺りも暗かったですし」
「そうか」

 アクバール様は残念がる様子もなく納得されたようだ。

「レネット、オマエが会ったヤツだが……」
「は、はい」
「オレに呪いをかけた魔法使いで間違いないだろう」
「え?」

 アクバール様から思いも寄らない答えが聞けて、私は呼吸が止まりかけた。

 ――あのアクバール様に呪いをかけた魔法使い?

「オレが見た魔法使いも顔の半分が酷く爛れていた。黒曜石のような色の長い髪と血のような真っ赤な瞳をしたヤツだった」
「そ、そんなまさか」 「相手が魔法使いであれば、オマエが体験したおかしな現象にも納得いく。オレが王宮に戻れば、すぐにソイツは現れるかと思ったが、まさかオマエの前に現れるとはな。いや、ヤツにとってオマエに存在を気付かれた事は予定外だったな」
「は、はい」

 淡々と話をするアクバール様だが、私は気が気ではなかった。あんな恐怖を与える人が魔法使いだなんて。

「わ、私は魔法使いに監視されてしまうのでしょうか?」
「大丈夫だ。必ずオマエを守る」

 明らかな不安を露わにしている私の手をアクバール様が力強く包み込んだ。伝わってくる彼の温もりが不思議と私の不安を溶かしていくようだ。

「魔法使いの件は近い内に必ず決着をつける」
「アクバール様? 危なくはありませんか?」

 ここでまた不安が広がる。ただでさえ魔法使いという存在は未知なのに、ましてやあの顔の爛れた魔法使いはとても尋常ではない。あれを相手に危険がないとは言えないだろう。

「そんな事をオマエは気にするな。それに決着をつければ、オマエも安心出来るだろう?」
「それはそうですが」
「レネット、もう休むぞ。二夜連続と祝宴会が続いて疲れただろう」
「はい」

 確かにこれ以上、あれこれ考えても頭がパンクして、またいつもの眠気に襲われてしまうだろう。私は素直にアクバールの言う事に頷いて横になろうとした。

「ひゃっ」

 一緒に横になったアクバール様から抱き寄せられて、驚いて声を上げてしまった。

 ――ま、まさか……こ、これから閨の情事を?

 心身共に疲労困憊で、とてもエッチが出来る気分ではない。

「あ、あのアクバール様?」
「今日はこの姿勢で眠る。このまま抱いててやるから、もう休め」
「は、はい」

 ――それは今日はもうエッチはしないという事かな。

 アクバール様、もしかしたら不安がっている私を安心させる為に、こういう風に抱いて眠ろうとなさった? 祝宴会の時といい、沢山アクバール様の優しさに触れた日だな。

 ――腕の中がとてもあったかい。

 自然と心地好い眠気がやってきた。今日はもうこのまま微睡みの世界に入って眠れそうだ。そう思った時、唇にチュッとキスを落とされた。いつもの濃厚な口づけとは違って優しいキスだった。このまま素敵な夢が見られそうだ……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――私には無理だ。

 今日そう思ったのは何度目だろうか。しかもそう思えば思うほど、思いが強くなっていく。祝宴会を終えた翌日、私は朝からスケジュールに追われていた。既に昨日のレッスンで厳しさが身に染みて分かっていたけれど、昨日の比ではない。

 昨日は初めてという事で、あれ・・でも教師達が生温く教えていたという事が今日のレッスンが始まって分かった。教師達が求めているレベルは「完璧」だ。人間なんだから一つや二つ完璧には出来ない事もある……なんていう考えは許されなかった。

 さすがに涙が出た時もあった。精神が耐えようとしても、躯は限界に達して涙を流す。そんな姿となっても教師達は厳しさを緩めなかったし、妥協する事もなかった。この教育がここの王族にとって当たり前だからだ。

 それからお昼を迎えて食事に入ったのだが、とても喉には通らなかった。無理に食べようとすると、吐き気がして駄目だった。アクバール様に相談しようかとも思った。でも、たかが二日で弱音を吐く姿も見せたくなかった。それからだ。

 ――はぁー。本当にどうしたらどうしたら……。

 朝サルモーネさんとオルトラーナさんが迎えに来る前、決まって私は室内を往来しながら悩むようになった。王太子妃という肩書の重荷やレッスンの厳しさで、前向きに考えられない自分が酷く悲しかった。

変わらない状態が数日続い そんな私をアクバール様もきちんと気に掛けてはくれている。だが、レッスンに関しては伝統的な教えを覆す事がいくらアクバール様でも出来ないようだ。結局、懊悩する日々が続いたある日、また思いがけない出来事が起きたのだった……。





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