Please17「帰還祝い前夜祭」




 ここまで華やぐ料理は初めてだったかもしれない。高級な食材を使い、地産料理をメインにして作られた豪華な昼食、一匹丸ごと使った贅沢な肉料理から、淡白で上品な味わいを引き立てる小物料理まで余す所なく堪能ができ、舌と心に美味が広がった。

 昼食後はタイミングを見計らって来たのか、サルモーネさんとオルトラーナさんがやって来た。真っ先にやらなくてはならないのがドレス選びであり、私の為に新調されたドレスは目が眩むほどの数が用意されていた。ドレス部屋を設けられていたぐらいだし。

 どのドレスもそれはもう最高級と言わんばかりの豪華なものばかり。最初は私も心が躍る気持ちで選んでいたのだが、なにせ何百という数からベストなものを見つけ出し、さらに試着までするのだ。

 一人では着られない複雑な形のドレスばかりだから本当に大変で、さすがに数十着と試着した時にはうんざりとした気持ちになった。数時間にも及ぶ着せ替え時間から、ようやく解放された時の私は疲労困憊でグッタリ。

 そんな苦労して選んだドレスは若草色のホルターネック型のもの。腰回りに装飾された高級花ラボンのビジューがアクセントとなっている。エンパイアラインにプラスしたフリルトレーンの上にはルージュの花形に刺繍されたシフォンレースが覆われている。

 これはほぼ一目惚れしたドレスだった。上品な淡いグリーン色に華美なアクセントがあって嫌味のない豪華さ。ドレスだけ見れば、少し私には背伸びをしているように見えたが、実際に合わせて見れば周りからも大絶賛だった。

 そしてやっとの思いでドレスを選んでも、これで終わりではない。今度は靴や宝飾するアクセサリー、そして髪型まで選ばなければならなかった。この時は人形のように座っていただけではなく、今後の予定について説明された。

 サルモーネさんは内容を凝縮して伝えていたのだろうが、私は聞いていて途中から頭が痛くなってきた。まず予定がギッシリと煮詰まっている。無駄な時間など全くない。社交の茶会、芸術鑑賞、教養のレッスン、一部の政務を補佐する業務までも含まれていた。

 予想を遥かに超えるスケジュールに悲鳴を上げそうになった。聞き慣れていない、経験がないからと弁明を立てられそうだが、そんな甘い言葉は通じやしないと、サルモーネさんの雰囲気から伝わってきていた。

 オルトラーナさんは傍で飄々とした様子で聞いていて、スケジュールに対して特に何も口を出さないところをみると、内容については当然だと思っているのだろう。私は名ばかりの王太子妃だというのに非常に厳しい状況を抱えていた。

 険しい顔の私に気付いたサルモーネさんから「大丈夫です。経験を積めばきちんと熟せます」と、オルトラーナさんからは「頑張って下さい」という言葉をもらったが、今の段階では弱音しか出てこなかった。

 試着が一通り終えた後、簡単に王宮の内部を案内してもらった。とてもじゃないけど、数時間で全部覚え切れるものではない。何千という部屋を所有している大王宮だ。回廊が数多く道も煩雑している。

 一人で移動なんて出来たものではない……と、そこは心配する必要がなかった。何故なら私が移動する時は決まって近衛兵と女官の二人のどちらかが付く事になっているからだ。身の安全に万全を期しているそうだが、行動が制限されるようで正直窮屈に思えた。

 ――そんな事になるなんて考えもしてなかった。

 気が重いと心の中で何度深い溜め息を洩らしたことか。そして刻々と時間は過ぎていき、気が付けば陽は沈んで、いよいよ王太子帰還を祝う祝宴会を迎えようとしていた。そしてドレスアップした私の前にアクバール様が戻って来た。

 彼の姿を見た時、私は息を切った。色調を青に統一したアクバール様の礼装姿は私の心拍数をググンと上げた。真っ白なドレスシャツの上に飾緒を掛けた華麗なコートはボタン一つでも宝飾品のように美しく、コート全体が陽光に反射する水面のように煌いている。

 肩布も陛下が羽織られていたような上質なものだ。前髪もほのかに上げられ、額を覗かせるお顔はいつもの甘さに精悍さがプラスされていた。うぅ~カッコイイ。王子様みたい。本物の王子様なんだけど、カッコイイ……。私は心の中で萌え悶えた。

「レネット」

 重々しい口調でアクバール様から名を呼ばれる。心なしか表情が神妙だ。急にどうされたのだろうか。

「一つ忠告しておく。重要な事だ」
「な、なんでしょうか」

 急に畏まったアクバール様を見て、妙な緊張が走った。

「ここでは容易に人を信頼するな」
「え?」

 意図しない言葉を告げられ、私は面食らってしまう。

「あのそれはどういう意味ですか?」

 内容がとても穏やかではない。私の心を騒めかす。

王宮ここは色々とせめぎ合っている。むやみやたらに人を信じると、とんだ痛い目みて自分の居場所を無くす」
「信頼ならない方がいるのですか? それはどなたなのですか?」
「それを言い出したら切りがないぞ。一先ずそうだな。オレと女官の二人、あとは……クレーブスも入れてやるか。それ以外のヤツの言葉はすぐに信じるな。それはオマエの為でもある」
「は、はい」

 私は素直に返事をしたが、当然胸にはわだかまりがあった。ここでは人を簡単に信じてはいけない。多くの人間が行き交う王宮だ。色々な人間がいて関係が複雑なのかもしれないのだけれど……ここで私はある人物が浮かび上がった。ヴォルカン国王陛下だ。

 何故、アクバール様と陛下は不仲であるのか。前国王が病死なさった後、次に王位継承権を持っていたのは王太子、すなわちアクバール様だった。だが彼は失声を患い、王位は前国王の弟君ヴォルカン様となった。

 呪いをかけた魔法使いと王位を継承した陛下は別。それなのに、何故あの二人はあそこまでギスギスした関係となっているのか……。陛下との関係の事をアクバール様に訊いても大丈夫だろうか。暫し私は逡巡する。

「オレと叔父上とのやり取りの事を気にしているのか?」
「え? あの、その」

 アクバール様に見透かされ、私はなんと答えたらいいのか分からず、視線を泳がせてしまう。

「国王陛下に対してオレの態度はぞんざいだと言えるしな。だが、そもそもオレは叔父上を国王陛下だとは認めていない」
「それは何故ですか?」

 ――そういえば、アクバール様は陛下を陛下・・とお呼びしていない?

「オレが本来、国王陛下の座についていたからだ」
「ですが、アクバール様が失声を患ってしまい、陛下が王位につかれたのではありませんか?」

 ――呪いをかけた魔法使いは陛下ではない。それなのに何故、アクバール様は王座の奪還とおっしゃったのだろうか。

「そうだな。だが、事はそう単純なものではない」
「え?」

 アクバール様は何とも言えない苦笑を浮かべていた。

「今頃、向こうは向こうでオレの事を散々とそしっているだろう。オレと叔父上は身内ではあるが、互いを敵対している。そんな事もあってオマエにやたら人を信じるなと伝えたんだ」
「…………………………」

 国王陛下と敵対。国の主となんてとんでもない事だ。でもアクバール様なりに何か事情があるのだろう。

「さぁ行くぞ。緊張せず純粋に宴会パーティを楽しめばいい」

 そう告げるアクバール様から手を引かれ、私は彼と共に祝宴広間へと向かって行った。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――これが内輪だけの祝宴会なの?

 これがアクバール様に手を取られ、祝宴会の広間へと足を踏み入れた時の第一の感想だった。隣国ロザリオでしか採取出来ない貴重なクリスタルで作られたシャンデリアは、そのものの美しさだけではなく、光が生み出す空間の美しさがある。

 それは連綿と続く職人の卓越した技術によるもので、シャンデリアには独特の透明感があり、かつ真夏の陽光のような赫々とした輝きを放っている。本来は陽光で映えるスタンドグラスが、シャンデリアの光によって生き生きと輝いていた。

 そんなシャンデリアのもとで、色彩に富んだ華麗なドレスに身を包む人々は自由に飛べる蝶のように美しい。そして流麗な音楽が人々の心と足取りを弾ませ、歩いでいるだけでも華麗なステップを踏んでいるように優美に見えた。

 華美に見えて天井画や壁画といった色彩豊かな絵画や彫刻像といった華のある装飾はされていない。だが、大理石の床には我が国のシンボル、ルージュの花びらを散りばめた絵柄がえがかれており、その上を歩く人々の姿を大変華やかに見せた。

 ブッフェの料理はドレスアップされたかのように色鮮やかに並べられ、手をつける事を躊躇わせるほどの芸術的なでき。一つ皿から取るだけでも料理の造形を崩してしまいそうで、私は中々手が出せそうもない。

 内輪とはいえど、人数は多い。私にとっては小規模には見えなかった。私は今までに体感した事のない高揚感や緊張、そして不安など色々な感情が綯い交ぜとなって身を強張らせていた。そういう時は必ずといって隣にアクバール様がいてくれるから心強い。

 彼はしっかりと私と寄り添って片時も離れない。私の社交デビューをサポートしてくれるのだろう。その時、私は広間をグルリと見渡した。やはりあの方・・・がいらっしゃっているのかどうか気になっていたのだ。

 ――やはり陛下はおられないようだ。

 都合がつかないとはおっしゃっていたけど。ただいくらアクバール様が勝手に催した祝宴会だとしても、仮にも彼は陛下の甥であるというのに。とはいえ、おられたらおられたで、緊張やら危惧やらあったりして大変ではあるけれど。

 彼等の内情を少し見ただけで心は曇天となったし、それを思い出しただけでも陰鬱な気持ちとなる。晴れやかな祝宴会に二人が一緒の空間にいなくて良かったのかもしれない。……明日の祝宴会がどうなるかは分からないけれど。

「声がお戻りになったなんて奇跡ですわ」
「本当に戻られて良かった。よく二十年もの間、耐えられましたな」
「まぁ、本当にアクバール王太子はお戻りになっていらっしゃったのね!」
「こちらが噂の王太子妃殿下様か。なんと麗しい!」

 内部へ進むと、待っていましたといわんばかりの視線を注がれ、私とアクバール様の周りには自然と人々が集まり、次々に声を掛けられる。こんな注目を浴びた事のない私は緊張が上がり、身を強張らせたが笑顔だけは絶やさないように努力していた。

 それなりにしんどさはあったけれど、驚いた事にどの方も好意的な接し方をしてくれた。あの陛下に仕えていた方達は恐ろしいほどに冷たい雰囲気を醸し出していたというのに、今ここにいる方達は温かかった。それだけで笑顔を頑張れそうだった。

 滔々とうとうと流れる質問の嵐に、アクバール様は流暢に受け応える。とても20年間ブランクがあったとは思えないほど、鷹揚な態度で。私は取り繕う笑顔でいっぱいいっぱいで、何処までそれを崩さずいられるか。

 だけど、アクバール様は私が困った質問を受けると、必ずフォローに入ってくれる。決して相手を不快にさせず、そして私を傷つけないよう上手く話を回し、会話を弾ませていた。ここまでの話術をもっていたなんて。いつも口でああだこうだ言っても敵わない筈だ。

「済まないが妃殿下に紹介したい人がいる為、失礼させてもらおう」

 一向に切れない人の群れをアクバール様が華麗に振り切った。私は彼に手を取られて群れから離れる。

「あのアクバール様、私に会わせたいという方は?」
「あぁ。あちらにいる」

 彼と向かう先に一人の美しい女性の姿が映った。





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