Please12「未知なる世界へ」




 ――はぁー。本当にどうしたらどうしたら……。

 その言葉を繰り返し頭の中で唱え、先程から私は室内を往来していた。アクバール様と暮らしていた森の豪邸やしきも相当なものであったが、ここ・・の部屋はさらに上をいく。

 それはそうだ。ここは国王陛下が住んでおられる王宮・・だもの。そのような場所に用意された自分の寝室、本来であれば一生涯お目にかかる事のない豪奢な作りに、私はただ委縮するばかりであった。

 例えばドレッサー、精妙な浮彫レリーフでデザインされた華美な調度品……いやもう芸術品だ。埃一つでも弾き出すような完璧な輝きを放っていて、とても私なんかが使えたものではない。今着ているドレスや靴だってそうだ。

 クローゼットの中には私の為に新調された豪華なドレスと靴がズラリと並んでいる。見た目が繊細で美しいのは勿論だが、ドレスは肌触りがとても良く高級感に溢れているし、靴は履き心地が完璧だ。

 ――極めつけは“王太子妃”という称号……。

 ズッシリ重荷となっているその肩書きに、私はどう向き合えば良いのか。ほんの数日までは森の聖地でアクバール様と長閑に暮らしていたというのに、何故このような状況になっているのだろう。私は立ち止まり、数日前の出来事を振り返る。

 あれはアクバール様から、とんでもない真実をカミングアウトされた夜……まさか彼が「王太子」だったなんて! その事実を知らされた翌朝、まだアクバール様を王太子だと信じられない私の前に、王宮から迎え・・がやって来て現実を思い知らされるのだった……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

「お迎えに上がりました。アクバール王太子」

 恭謙に頭を垂らして挨拶する一人の男性。従者といえど、服装や立ち振る舞いから品の高さが窺える。彼に続いてズラリと並んでいるお付きの人々すべてに共通していた。これだけの人数すべてが従者? もう言葉が出ない。それに……。

 ――王太子……。やっぱりアクバール様は本当に王子殿下なの?

 ゴクリと私の喉元が鳴った。硬い緊張にドクドクと心臓が波打ち、躯が打ち震える。現実を目にするまで何処か違うのではないかという期待が見事に崩れ落ちた。アクバール様が本当に王太子というのであれば……。

 ――私は王太子妃というのも本当なの?

 そんな馬鹿な! そんな現実を受け入れられる筈がない。私には未知なる世界だ。感じた事のない不安や恐怖といったものが込み上げてきて、ここから逃げ出してしまいたいと思った時だ。

「アクバール様~♬」

 場の雰囲気とは不似合いな声がアクバール様の名を呼んだ。妙なほど陽気な口調に、私の緊張の糸が解けて拍子抜けしてしまった。

「おっ迎えに上がりましたぁ~♬」
「朝から鬱陶しいな、クレーブス」

 アクバール様は大勢の従者の前にズカズカと出てきたローブ着用の、とてもとても美しい男性を目にした途端、なんとも言えない苦り切った顔をして暴言を吐かれた。

 現れた男性は満天に輝きみつる星月夜の美しさを湛えた美貌、陽射しを編み込んだような眩いブロンドの髪をもち、時を忘れて魅入ってしまう程、とんでもなく見目麗しい。……その人物に私は見覚えがあった!

「あ、あ、あ、貴方は!?」

 私ははしたない声を上げてしまった。だってだってだってこの男性は!

 ――アクバール様とグルになって、私に卑猥な事をさせたとんでもない人だ!

 そんな彼は花が咲き誇るような綺麗な笑顔を広げる。

「レネット様、お初目にかかります。わたくしは、アクバール様の第一側近クレーブス・マドンネンブラウです。今後はレネット様ともお付き合いをさせて頂きますので、お見知りおき願います」

 挨拶を終えた男性……クレーブスさんは右手を差し出してきた。私は手を差し出す事を躊躇してしまう。彼はあくまでも初めてを装うとしているんだ。それもあまりに完璧な演技。

 昨日のあんな事があって、私はとても平然としていられない! なんとも形容し難い思いが込み上げてきて、ブルブルと躯は震え上がっていた。そんな私の様子に気付いたアクバール様が私の代わりに応えてくれた……のはいいのだけれど。

「クレーブス、レネットがオマエを見て怯えている。オマエがド変態だからだろう」
「何おっしゃるんですか! 主犯者のアクバール様にだけは言われたくありません!」

 ――なに今のアクバール様とクレーブスさんの会話は?

 内容も問題だけど、主従関係にしてはいやに砕けていたわよね? 彼等の関係に私は違和感を覚えた。

「クレーブス、シレッと初対面を装うのはよせ。下手に取り繕うとしても、レネットに警戒されるだけだぞ」
「でしたら、きちんと私の事をフォローして下さいよ。根源はアクバール様のおいた・・・が原因なんですから」
「レネット。クレーブスは変わり者で変態だが、オレの第一側近として仕えているだけあって役に立つ時はある。宜しくやってくれ」
「は、はぁ……」

 アクバール様の紹介に、私は抑揚のない返事を返してしまった。

「ちっともフォローする気がありませんね!」

 クレーブスさんはプンプンとヘソを曲げてしまった。そんな彼を私はしげしげと見てしまう。以前と双眸の色が違う。当たり前か。本来は彼の美しい髪の色と同じ黄金色だ。うぅ、やっぱり私は騙されていたんだと、気持ちがショボンと沈んでしまう。

「すぐ出発だな」

 アクバール様の言葉に、私のしょぼくれた気持ちに拍車がかかる。出発……それはこの地から離れて王宮へ行く事になる。い、嫌だ! 私はしがない侯爵令嬢なのだ! しかも田舎で育った世間知らずな娘だもの。そんな私が王宮で暮らすだなんて身の程知らずだ!

「その前に……着替えだ、レネット」
「へ?」

 心の中でわぁわぁと叫んでいたところに、アクバール様から着替えなんて言われ、何やら話が繋がらないのですが? 私はキョトンとなって首を傾げていたら、

「王太子妃に相応しい新調したドレスがある。それに着替えてもらうぞ」

 さらにズドンと現実を叩きつけられた。

 ――うぅ、結構です。私には身に余る贅沢です。

 そう全力で断りたいのに、私に拒否権というものは与えられなかった……。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

 有能な侍従達の鮮やかな手捌きによって、私はお姫様にでも生まれ変わったように美しく着飾ってもらった。ワインレッド色の光沢感溢れる上品なドレスは銀糸で描かれた花模様がとにかく繊細で職人技。腕にシルクのショールを羽織って、よりノーブルさがアップ。

 髪の毛はサイドを編み込んでもらってハーフアップ。頭のてっぺんから足元まで至る場所に宝飾され、形だけでも身分のある女性に見えるのかな? 周りからどう見えているのか不安があったけれど、私は外へと出た。

 扉を開けてすぐに私の胸はキュンと音を立てた。着替えをしていたのは私だけではなく、アクバール様もだ。金糸で彩られた真っ白な礼服と流れるように羽織っている瑠璃色の肩布が王太子の名に相応しく華やかであった。

 礼服のコートは格式ある軍服をさらに華美にしたデザインで、アクバール様が精悍に映る。普段は温和な雰囲気なのに、今の凛呼した姿がとても新鮮で私の乙女心をくすぐっていた。

 ――ど、どうしよう、す、素敵すぎてアクバール様を真っ直ぐに見られない。

 私は頬が薄紅色に染まり、いやに鼓動を鳴らす。顔を上げていられなくて伏し目がちとなっていたが、不自然に思われると思ってチラリと視線を上げた時……。

 ――ひゃっ!

 私は肩を上げて心の中で短く叫んだ! だってクレーブスさんが……ニ、ニヤリとした表情で私の顔を見ていた? それはほんの一瞬の出来事だった。今の彼は私に背を向けて、アクバール様となにやら話をしている。

 ――な、なんだったんだろう、今の! き、気のせいだったのかな?

 ドクドクと私はさっきとは違う意味で動悸が鳴っていて、気が滅入ってしまっていた。まだよく知らない相手に対して、こんな事を思うのは良くないと思うけれど、クレーブスさんは苦手・・だ。そんな事を思っていた時だ。

「綺麗だ、レネット」

 アクバール様は潤いのある甘やかな声で、私の姿を褒めてくれた。

「あ、有難うございます」

 頬に熱が集中していくのを感じながら、私はか細い声でお礼を言った。

「アクバール様も、す、素敵です」

 聞こえるか聞こえないかの微妙な声で素直な気持ちを伝えると、アクバール様にはきちんと聞こえていたようで、また美しい笑みを広げられ、私の心臓を高鳴らせた。そんなこんなんあった後、私はアクバール様と共に馬車へと乗った。

 ――……二頭四輪の凄い豪奢な馬車だ。

 黄金色で絢爛豪華、外観にはフレスコ画のような美しい絵が描えがかれている。馬車の屋根の上には我が国シュヴァインフルトの象徴となるルージュの花のオブジェまでもが飾られている。まさに王族の馬車。窓は紅色のカーテンが掛けられており、これまた内装が凄い。応接室のような作りになっている。

 この馬車にアクバール様と二人だけで乗るようだ。私は彼の手に引かれ、隣同士で腰を掛けた。何故、向かい合わせではないのだろうか? 心臓の音がまだ鳴り止まないから、隣は勘弁して欲しい。そんな私の思いは当然知られる事もなく、馬車は間もなくして出発した。

 私はすぐにカーテンを開けて、窓越しから豪邸やしきを見つめていた。あっという間に遠ざかって行く。二十年も暮らしていたこの聖地から、なんの前触れもなく離れる事になるなんて不安でしかない。

 そんな私の様子をすぐにアクバール様が気付いたのか、そっと手を握られる。大きな大きな手、そしてとても温かった。その温もりは私の不安を取り除くように心地好かった。無意識の内に私はアクバール様の手を握り返していた……。





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