Past3「魔女の呪い」




―――え?ピアスをなさっている?

 浮き立つ気持ちが物の見事に砕け落ちた瞬間だった。これからオレはダーダネラ様と共に、新しく結成された宮廷楽団の演奏を試聴する予定だ。楽団の演奏は魔術の演出と合わせるイベントが多い為、魔導師のオレも参加する事になっていた。

 そして会場ホールで美しき高級花ダーダネラ様がいらっしゃるのを心待ちしていたオレだが、いざお姿を目にした時、真っ先に彼女の左耳へと目線が縫い付けられた。いつの間につがいのピアスを着けていらっしゃったのか。

―――ダーダネラ様の中で決着がつけられたのか。

 すなわちダーダネラ様はオールではなく、陛下をお選びになったという事だ。これからの生涯、彼女は陛下と共に歩んで行く。こうなってはもうダーダネラ様の事は諦めるしかない。

 陛下がダーダネラ様を妃へと迎えられてから半年が経った。すなわちダーダネラ様が陛下を受け入れる期間でもあった。ここまで国の主の申し出を待たせた彼女はさすがだな。最後は陛下の想いに根気負けをなさったのか。あの陛下がお相手であれば仕方ない。

「どうしたの?私の顔に何か付いているのかしら?」

 おっと、ピアスに目を奪われ無言でいたら、ダーダネラ様から妙に思われてしまったようだ。

「いいえ。お会いする度に美しさに磨きがかかっていらっしゃるようで、知らぬ間に魂を持って行かれていたところでした」

 オレはいつもの調子でサラリと誤魔化そうとしたが…。

「あらあら、それはとても嬉しい言葉ね。それで本当のところはなんなの?」
「ははっ、やはり貴女には適いませんね。そちらの番いのピアスに目を向けておりました」
「あぁ、これね」

 軽くピアスに手を添えるダーダネラ様は咲き誇る花のような笑みが零れ落ちた。こちらまで幸せを運ぶような温かな笑顔だ。

「決着をおつけになったようですね」
「えぇ。とても時間を頂いてしまったけれど、もう心に揺るぎはないわ。ふふっ、ここだけの話だけどね、陛下はずっと私を想って下さっていたの。それもね、先日で丸十年とお聞きして、改めて陛下の愛情の深さを実感し、決断する事が出来たのよ」
「え?」

―――マジかよ!あの神的な陛下が片思い歴十年とかあるのか!

 それは青天霹靂だろう!ようこそ顔には出さなかった自分を讃えるわ。十年ともなれば、ダーダネラ様がオールと付き合う前から、陛下はずっと彼女を想っていらっしゃったって事か!

 オレはダーダネラ様を想う気持ちは陛下にもオールにも負けないと思っていたが、敗北感に見舞われた。陛下のダーダネラ様を想うお気持ちは本物のようだ。ただ彼女が美しいというだけに惹かれた訳ではなく、陛下なりの歴史がおありなのだろう。

 今、目の前で溢れるばかりの笑みを零すダーダネラ様は光り輝く高級花シャモアそのものだ。この光はきっと陛下のお傍に居て輝く。その眩い光に差し込まれた時、オレはダーダネラ様のお気持ちを振り向かせようという馬鹿な考えを断ち切った。

 その日から間もなくして、オールが軍師から退魔師へと移動となり、エニーが将帥の後を引き継いだ。これでオールは以前のような爽やかキラーボーイに戻る……事はなかったが、アイツとダーダネラ様の心の霧が晴れたように見えた。

 それから数ヵ月が経った頃、ダーダネラ様のご懐妊が発表された。お腹の御子は王子殿下であり、次代の王となられる方だ。我がオーベルジーヌ王国に新たな未来が切り開かれ、この上ない歓喜の熱気が渦巻く。

 その喜びは他国へも浸透していき、すぐに盛大なパーティが開かれた。我が国は輝かしい未来が約束されたと、誰もが幸福に浸っていた。あの忌々しい魔女・・・・・・・・が現れるまでは……。

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 「陽が沈まぬ大国」我が国の別名である。衰えを知らず、何千年と大国のトップを維持してきた我が国はそのように称されるようになった。その黄金を体現化した世界が目の前に広がっている。

 純度の高い金で埋め尽くされた琥珀色の空間。そこに宮廷楽団の奏でる旋律は陶然とする音色であり、ダンスの時は情熱的な演奏で人々の心を高揚とさせる。優雅で幻想的に彩られた広間ホールは陽気的かつ解放感に溢れていた。

 今宵はダーダネラ様のご懐妊を祝う盛大なパーティが繰り広げられ、壮麗な宮廷内は熱気に包まれていた。陛下と彼に寄り添うダーダネラ様は他国から招いた王達の接待をおこなっている。

 アシンメトリー型のレインボードレスに身を包んだダーダネラ様を陛下は壊れ物を扱うように優しく接していらっしゃる。お二人が寄り添うお姿は正しい一枚の画趣のように美しい。

 実際に賛美される声も度々と聞こえてくる。そんなお二人の御子の美しさにも期待が高まっていた。どちらに似ても麗しさは保証されている。美しいものには人の関心が高まるものだ。
 
 そして人が集まる盛大なパーティは警備の万全を期していた。軍師と魔導師は優雅なパーティに陶酔している場合ではない。正装に身を包んでいても、気持ちは完全な仕事モードだ。妙な異変がないか目を光らせている。

 今宵のパーティも安全を期している……筈だった。決して抜かりなどなかった。それなのに、いつアイツ・・・広間ホールまで入り込んでいたのだろうか。異質を感知するのが我々魔導師の役目だ。

 誰よりも優れた能力を持ったオレが気付いた時にはアイツは陛下を一心で見つめていた。アイツは目を惹く存在だった。艶を帯びた美しい漆黒の髪は腰よりも長く、滑らかに背中へと流れる。細身を生かした紫色のマーメイド型ドレスがスタイルの良さを強調していた。

 神秘的な光を放つオーラは暗い夜空に浮かび上がる満月のよう。初めは異国の姫君ではないかと思っていた。明らかに我が国の顔立ちではなかったからだ。ただあれ程の美貌を持つ姫君であれば、噂の一つでも耳に入りそうではあったのだが。

 オレがアイツを見つけた時点では異様な気は感じられなかった。判断のミスではない。他の魔導師の動きも全くなかった。彼等もアイツを普通の人間とみなしていたのだ。唯一の異変といえば、アイツの瞳は陛下しか捉えていなかったという点だ。

 陛下に見惚れる貴婦人がいる事は珍しくない。アイツも陛下の美しさに心を奪われているものばかりだと思っていたが、アイツの眼差しは決して恍惚に潤っていなかった。妙に澱んだ黒い念が宿っているように見えた。何かがオカシイ…。

―――ア・イ・ツ・を・陛・下・へ・近・づ・け・て・は・い・け・な・い!

 そう直感的に思ったオレの躯が動いた時、既に遅かった。広間ホールに大きな騒めきが響き渡る。既に金色の世界が闇へと変わっていた。黄金の光は失われ、常闇が舞い込み主役となる。

 そして陛下とダーダネラ様の目の前には例の女が立っていた。禍々しい紫色のオーラを放ち、漆黒の髪が緩やかに舞い上がる。あれは人間ではない!ここで気付いた、アイツは魔女だと!

―――何故、誰も感知が出来なかった!?

 全身が剣吞を感じ取り酷く戦慄く。辺りは灰暗く明確に捉えられないが、陛下もダーダネラ様もその場に立ち竦んでいらっしゃる。ヤバイ、お二人の命が危険だ!すぐに向わなければ!しかし、躯は動いているのに近づく事が出来ない!

―――結界か!

 全く解除魔法が効かない。オレも含めて他の魔導師も退魔師も酷く躊躇していた。オレは結界の中で魔女と対峙している陛下とダーダネラ様へと目を向ける。魔女がお二人に向かって手を翳していた。

―――魔力を放つのか!?

 オレは瞠目する。魔女の口元が徐に動き、呪文を唱えているのが分かった。それを目の前で見ている事しか出来ないオレは何の為に存在しているのか!陛下とダーダネラ様だけではない。お二人の御子まで危険に晒しているのだ!

―――クソッ!!

 無力の自分をこれほど呪った事はない。強く握り締める拳から血が滴る。もう駄目だ!そう諦念を抱いた時、結界が薄れていく事に気付く。すぐに結界と共に魔女の姿も消えていった。

 その様子をその場にいた皆が茫然と見つめる。黒々しかった騒めきは閑散とした空気へと変わる。魔女の危険を感じてから、ここまで一分と経っていないが、嵐が立ち去ったような後だった。

 オレは一番に危惧していた陛下とダーダネラ様のお姿は無事で安堵を抱いた。だが硬直したままの広間ホール。何が起きたのか誰も把握出来ていない。そこにオレは誰よりも行動を起こし、陛下とダーダネラ様の前へと駆け寄った。

「陛下、ダーダネラ様!お二人ともご無事で!」

 無事とはいえ、魔女を近くにして恐怖を感じられていたのだ。お二人の不安の色は拭えていない。怯えていらっしゃるダーダネラ様の肩をしっかりと抱かれる陛下の口元がゆっくりと開かれる。

「エヴリィ、あやつは?」
「恐らく魔女ではないかと」

 問われてオレは簡潔に答えた。

「魔女が何故、我々の元に?それに魔女あやつは私達にこう申した。“己ノ罪知レズ 幸ナカレ 我ト同ジ…久遠クオンニ”と」
「え?」

―――どういう意味だ?

 魔女は魔術をかけた訳でないのか?陛下達に何かを伝えに来たのか?それにしても意味不明だ。当然、陛下もダーダネラもご理解をなさっていない。ただ今はお二人と御子がご無事でなによりだ。だが、その安堵は長くは続かなかった。

 魔女が何の為に現れたのか真意は分からぬまま、我が国はジワジワと常闇の世界へと姿を変えていった。気が付いた時には完全に浸食されていたのだ。まさかダーダネラ様に呪いがかかるなど、誰が予想していただろうか…。

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 事態は非常に深刻だった。日に日にダーダネラ様の容態が悪化していく。魔女が現れた翌日からダーダネラ様の体調に変化が起きた。初めは御子を身籠った繊細な時期に、あのような禍々しい魔女が現れ、精神的な疲れがどっと現れてしまったのだろうと考えられていた。

 宮廷医師や薬師の適切な看病のもと、ダーダネラ様のご回復を待った。ところが、一向に回復をなさる見込みがみられない。宮廷の医師と薬師は一級の腕を持っている。処置が悪いという訳ではない。しかし、どんなに精密な検査をしても原因は不明であった。

 その内にダーダネラ様が床に臥せられるまで容態が悪化する。ここまでくれば、命に関わるのでないかと懸念した医師達は祈祷師や魔導師達の力を借りて原因を突き止めようとした。

 結果、ダーダネラ様は「呪術」をかけられていた事がわかった。呪いは徐々に免疫力を蝕む病である。すぐに祈祷師や魔導師の魔力で解術を試みたのだが、解く事は叶わなかった。魔導師の最高地位であるこのオレでさえ、解く事が出来ないのだ。

 あのパーティの時で見た結界といい、この呪術といい、あの魔女の魔力は人間のもつ魔力を遥かに超えている。オレ達がもたついている間にもダーダネラ様は食欲の低下から熱や吐き気などの病に犯され、苦しみが続く。

 辛うじて御子には影響が及んではいなかったが、今後は負担になっていくのでないかと懸念されていた。人間の力ではどうしようもないのであれば、神官の神力であればと、オレは神ゼニス様のお力を懇願した。

 本来、神力を利用する事は許されていない。だが、ダーダネラ様は次代の王を身籠っている。そこを利用して特例を出して貰った。これでダーダネラ様と御子を救える!誰もがそう信じていた。だが……望む結果にはならなかった。

 ゼニス神官は言った。この呪術は呪いをかけた本人しか解く事が出来ないものだと。あのゼニス様ですら解術出来ないのであれば、もう為す術はない。残されたのはダーダネラ様の死=絶望のみであった。呪いをかけた魔女を見つけ出したかったのだが、感知不可能の相手だ。

 そこをなんとかして魔女の世界にまで足を踏み入れにいけば、魔女達との戦争が起こる事が懸念され、強行突破が出来なかった。魔女と人間では戦をやらなくても結果は見えている。魔女相手では退魔師が束になっても敵わない。

 だが、このままでは……。ダーダネラ様の死はすなわち御子の死も意味する。この時点でダーダネラ様の御子の誕生を諦め、次の王妃を考える馬鹿な連中が出てきた。その考えにオレは胸糞の怒りを覚え、殺意すら芽生えた。

 いとも簡単にダーダネラ様を亡き者として考えたヤツ等に死を味わせたいと本気で思った。ダーダネラ様はオレが助ける。オレは寝る時間も惜しんで書庫に籠り、魔女や呪い、解術について血眼になって調べた。

 その内に自分が過労死するのではないかと周りから止める声が入ったが、オレが死んでダーダネラ様の命が救えるのであれば本望だと思い、心配の声を聞き入れなかった。すべては愛しいダーダネラ様をお救いする為だ。

 オレの身を焦がす思いで一心不乱に調べ続け、ありとあらゆる手段を試した。……だが、解呪に至れないのだ。どんなに切望してもダーダネラ様を元のお躯に戻す事が出来ない。彼女の笑顔を見る事が叶わない。

―――一体、どうすればいいんだ!!

 オレは躍起となって荒れ始めた頃だった。神官から陛下にこのような申し出があり、オレは息を切り、耳を疑った。

「ダーダネラ様との御子を望まれるのであれば、御子を他の女体へと移される事だ」





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