Birth80「芽吹く恋の花」




「沙都様」

―――ドクンッ。

 食卓のから出て、回廊を歩き出した時です。背後から名を呼ばれた私は胸部から心臓が飛び出したのかというぐらい過剰な反応を表しました。顔を見合さなくても、相手が誰か察したからです。

 振り返りますと、なまじっかな宝石よりも清廉な煌めきを放つオールさんがこちらへと来られるのを目にして、私もきびすめぐります。心臓が反応しましたのは、今朝オールさんに声を掛けられた時の内容が、ずっと気になっていたからです。

 必要以上の事は言葉にされない彼が珍しく自発的に声を掛けてくれば、気にもなります。そして私の目の前まで来た彼は立ち姿が美しく、相変わらず並みならぬ光彩オーラが眩しいです!

 実は彼は私が天神としての使命を終えた後も、毎日様子を見に足を運んで下さっていました。もう私の近衛ではありませんが、彼なりの使命が継続されているようです。責任感がお強いのですね。

 今はもう私の手から離れていますが、シャイン様の母乳時期は中々オールさんと言葉を交わす事は少なかったのですが、彼は傍らで見守って下さっていました。シャイン様がお生まれになって半年間ずっとそうでした。

「あの今朝の件でしょうか?」
「…………………………」

 先に声を掛けました。わざわざ呼び止めたのですから、急ぎの件かもしれませんしね。

「今朝はナンさんのお気持ちが昂っていましたので、声を掛けづらかったかと思います」
「…………………………」
「あの?」

 先程から私が話しかけても、オールさんは無反応でいらっしゃいます。どうされたのでしょうか。微かに思い詰められているような顔色が私の胸を騒めかせます。

「だ、大丈夫でしょうか。思案に暮れているように眉根を寄せられて…」
「いえ、お思いなっているような事ではございません」

 私の問いにオールさんは即答されますが。

「そうですか。何か言いづらい事でしょうか?」
「…………………………」
「?」

 私は不安げに首を傾げます。オールさんはそうではないと否定されましたが、やはり深い思案顔となっています。何か私は彼の癪に障る事でもしていたのでしょうか。

 …………………………。

「あの?」
「沙都様」
「はい」

 私が不安げにオールさんを覗き込んだ時、彼は意を決したようにして、私の名を呼びました。

「今宵、お部屋にお邪魔させて頂いても宜しいでしょうか」
「え?」

 私は小さく驚きを零しました。オールさんはグッと何か強い意志を宿した表情をされ、これはよほど大事なお話しなのかもしれません。でなければ、わざわざ私の部屋にまで足を運ぼうとはしませんものね。こちらでお話し出来ない事なんですか?や、どのようなお話でなんでしょうか?など、野暮な事を訊く訳には参りません。

「はい、大丈夫ですよ。では今宵、部屋でお待ちしておりますね」

 そう私は相槌を打ってお答えをしました。すると、オールさんは美しい金色こんじきの光を湛えた双眸を揺るがされます。特に何も訊かず答えた私に返答に驚かれたのかもしれませんね。

「宜しいのですね?」

 ここで何故かオールさんは念押しをされます。力強い語調です。

「はい、いらして下さい」

 二言はなく私は同じ答えを伝えますと、オールさんは安堵の笑みを浮かべられ、その喜色満面なお姿は見事に咲き誇る花のように美しさを湛えていらっしゃいました…。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

―――そろそろお約束の時間でしょうか。

 私は寝室でオールさんが来られるのをお待ちしておりました。

―――やっぱり淋しいですね。

 私は一人で入る寝台ベッドに侘しさを募らせておりました。今宵からシャイン様とは別室で寝る事になりました。シャイン様が母乳から離れたのもあり、明日から私も本来行う仕事レッスンの再開となります。翌日の行事に支障をきたさない為に、シャイン様とは別室です。

 先程までシャイン様のいらっしゃるお部屋にお邪魔させて頂きましたが、別の方に抱かれているシャイン様を見るのは淋しいものですね。シャイン様は人見知りが少ない方なので、どなたにでも笑顔を向けて懐かれますし。お部屋を後にした時、とても名残惜しい気持ちとなりました。

―――トントントン。

 物静かな部屋に響く扉のノックに、一時的に寂寞感せきばくかんが打ち消されます。

―――オールさんが来られたのですね。

 私は寝台ベッドから降り、サッと室内サンダルを履いた後、すぐに扉を開けに行きました。

―――ギィ―――。

 フッと目に飛び込んできたものに、

―――ブッ!

 ようこそ本当に口に零さなかったと自分を褒めますよ!まさに寝耳に水を目の当たりにしたからです。相手はオールさんで間違いがありませんが、彼の姿に驚愕をしました。

 黒が基調の艶感ある絹布は袖や丈ラインが彼の瞳の色と同じ金色こんじきに縁どられ、丈がくるぶしの位置までと長い、このバスローズのような形の服は寝衣なんですよ!

―――何故、夜着姿なのですか!

 いえ、私もちゃっかりと夜着ではありますが、オールさんが来られるとお時間が、ちょうど私が就寝する時間と重なるぐらいだとお聞きしていたので、夜着でも構わないというお言葉に甘えさせて頂きました。

 てっきりオールさんはお仕事の終わりに、私の部屋に寄られると思ったので、まさかまさかでは焦りませんか。私は動揺が生じ、自分からは声を掛けられずにおりました。すると、先にオールさんが口を開かれます。

「お待たせを致しました」
「えぇ」

 声が上擦ってしまいましたよ。微かに動揺している私ですが、感情の色を表さないオールさんが何をお考えなのかと読めません。

「あの、お邪魔させて頂いても宜しいでしょうか」

 控えめなお言葉ですが、懇願されるような瞳を向けられれば、嫌とは言えません。お約束でいらした訳ですし。とはいえ、寝衣姿の男性を部屋に招くというのは…。それにオールさんに限って、そんな事はありませんよね。自分を高く買い過ぎました。

「えぇ、どうぞお入りになって下さい」

 私は無駄な考えを払拭し、彼を手招きしました。

「そちらにお掛けになって下さい」
「はい」

 オールさんは上品な花の模様が描かれた丸テーブルとセットとなった椅子チェアーに腰を掛けられました。華やかなデザインのもと、引けを取らないお姿は見事ですね。オールさん自身が芸術の一部のように美しいですからね。

「今からお茶をお淹れしますね」
「お気遣いは不要です」
「遠慮なさらないで下さい」

 お話だけをお聞きするのも無粋です。私は予め用意しておいたティーポットとカップをテーブルの上で作る準備をします。チーズフォンデュ鍋に似たスタンド容器を使用し、蝋燭を灯して火を起こします。

「甘い香りの紅茶は大丈夫ですか?」
「えぇ」
「ではジェミニの葉でお淹れしますね」

 ジェミニとは薔薇の香りのように上品な甘さをもつ高級な紅茶です。濃度の高いビタミンが含まれたとても貴重な葉です。紅茶が出来るまで他愛のない話をしておりましたが、数分後、淹れたての紅茶を私はテーブルの上へと並べました。

「どうぞ」
「有難うございます」

 私も腰掛け、紅茶を口にします。湯気と同時に醸し出す上品な香りはまるでアロマオイルのようですね。舌にしっかりと香りが浸透していきます。そしてオールさんが飲まれたのも確認した後、私は早速本題へと入りました。

「オールさん、お話しとはなんでしょうか」

 声を掛けますと、彼は真っ直ぐに私の瞳を捉えました。

「沙都様は何故、ご自分の世界へお戻りになろうなさったのですか?」
「え?」

 昼間とは違い、ストレートに質問をぶつけられて面食いました。何処か咎められるような、淋しがられているような、そんな語調でした。

「オールさんもシャイン様の事を気にされているのですか?」
「勿論そちらも気掛かりではございましたが、むしろ私はアトラクト陛下とお離れになる事に驚きを感じました」
「え?」

 ストレートに陛下の事を口にされたオールさんに、今度は私が驚きました。一度、陛下の事は訊かれた事がありましたが、それからは触れられてはおりません。

「沙都様は陛下を慕っておられましたよね?陛下も沙都様を妃に迎い入れるご意思がおありでした。それであるにも関わらず、何故お離れになろうとなさったのですか?」

 オールさんの続いた言葉を聞き、気が付きました。彼は私が無理に陛下から去ろうとしたのではないかと心配して下さったのですね。

「オールさん、陛下のお近くにいた貴方なら、そのような質問をされなくても、お分かりになっているのではありませんか」

 私の返答に彼はハッと目を見開きます。どうやら私の思っている通りのようです。彼もまた陛下が今、誰を想われているのか気付いている筈です。

「私は陛下の傍に相応しい相手ではありません。私は陛下の想いを尊重し、自ら去る事を決意しました」
「陛下を想われ、お気持ちを諦めたという事ですか」

 さらに深く問われますが、私はゆっくりと首を横に振ります。

「いいえ、そうではありません。あのような事があり、私の想いはとうに拭えておりました。そして、この半年間はひたすらシャイン様へ愛情を注いで過ごしてきました。母乳時期までは母親とし、その時期が過ぎれば、この世界から去ろうと思っておりました」
「出来れば、お一人でお考えにはならず、ご相談下されば宜しかったかと」
「申し訳ありません」

 私はオールさんから視線を逸らし、お詫びの言葉をお伝えしました。

―――オールさんには悪いのですが。

 一番彼には相談が出来ませんでした。話をしてしまえば、きっと私はこちらの世界に留まりたいと思っていた筈です。私は帰る身でしたし、今日まで彼に対して芽生えていた感情きもちに、そっと蓋をして過ごしておりました。故意に気付かないフリをしていたのです。





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