Birth79「決断の末」




「今、なんておっしゃいました、沙都様?」
「えぇ、ですので元の世界に戻ろうと思いまして」

 朝食の用意に私の部屋へと来られたナンさんに、大事な事を告げましたところ、彼女は苦虫を噛み潰したような表情をされました。理解し難いといったところでしょうか。

「突然、何を言い出されるのですか!シャイン様はどうなさるのです!」

「シャイン様はもう母乳から離れる時期に入られました。食事はミルクとなりますし、私の手から離れても大丈夫かと」

 私はベビーベッドでスヤスヤと愛らしく眠っていらっしゃるシャイン様を見つめ、お答えをしました。この宮殿には食事以外でもお世話を頂けるエキスパートの方々がいます。これは育児放棄という訳ではありません。

 以前から考えていた事でした。シャイン様の母乳が離れた時、私は自分の世界に帰ろうと思っていました。任務を無事に終え、私はここに居るべき人間ではないと判断したからです。

 勿論、シャイン様の事は我が子として見ております。もう愛おしくて愛おしくて、本当は離れる事なんて考えたくありません。この先もずっと傍で育て成長を見守って行きたいと望んでいます。

 ですが、それでも私がこのオーベルジーヌ国の宮殿で過ごす訳には参りません。私の立ち位置が人々を困惑させてしまうのです。シャイン様を生んだ私が陛下の隣を望まず、あやふなものとなっているからです。

 陛下は私を受け入れるとおっしゃって下さいましたが、陛下のお気持ちを考えれば、申し出を受ける訳には参りません。陛下には望まれる方との幸せを願いますが、私の存在が阻んでいるようでなりませんでした。

 シャイン様と離れたくない、その思いだけで陛下の未来の輝きを失わせたくありません。その為、私は決死の思いで、元の世界に帰る決断をしました。その決断が覆される事はないでしょう。

「沙都様!そのような事、陛下がお許しになるとお思いなのですか!反対なさるに決まっているではありませんか!」
「陛下にはご了承を得ているんです」
「え?」

 信じられないとナンさんが驚きの色を見せます。心苦しいのですが、申し上げた事は事実です。陛下から妃にならないかとおっしゃって頂いたあの今宵、私は元の世界に戻る意思を伝えておりました。

「お話をして承諾されるなんて、そんな事が有る筈ありませんわ!」
「ナンさん、落ち着いて下さい。陛下には本当にご了承を得ております。確かに初めは陛下も反対なさっていました」

 そうなのです。有り難い事に反対をなさっていたのですが、私は頑なに残る事をお断りしたのです。陛下の想いを理由にした訳ではありません。そちらの理由は伏せ、私は元の生活を選びたいと申しました。

 それでも陛下は必死でお止め下さいましたが、私が意思を曲げる事はありませんでした。曲げたくなかったのです。陛下の幸せを願うのであれば、当然の選択だと思っています。陛下も今はご納得がいかなくても、いずれ私の選択が間違ではなかったと思われる事でしょう。

「ですが、私が自分の世界で生きる意思をお伝えし、最終的には陛下もご了承を下さりました」
「そんな…」

 ナンさんの抜き差しならないといったお声が私の心を痛めます。

「ナンさん…」
「私は沙都様から離れたくありません!これからもずっとお傍で仕えたいです!」

 さらにナンさんは泣き顔となられ(既にお鼻から水落ちが)、私はオロオロとしてしまいます。ナンさんからここまで思い入れを下さっていたなんて。

「うっぐ…ざど…ざ…まぁ…えっぐ」
「そのように思って下さり、とても光栄です」

 ナンさんのご様子に心を打たれた私は涙腺が緩みそうになります。私がこちらの世界に来てから、ずっと私の世話をして下さいましたものね。こちらで生活をやってこれたのはナンさんがしっかりと支えて下さっていたからです。

「分かりました!でしたら私も共に沙都様の世界へ参ります!」
「ナ、ナンさん?」

 話が突拍子もない方向にいきましたよね?思わず出かかった涙が引っ込んでしまいましたよ?私は何度か瞬きをしながら、考えに苦しみます。

「あ、あのお言葉は大変に嬉しく思いますが、ナンさんはこちらの世界でも必要とされている方ですし、私の世界にいらっしゃってもあまりの生活の違いにご苦労が「何をおっしゃるのですか!」」

 す、凄い剣幕のナンさんの気迫に押されてしまった私はおのずと口を閉じてしまいます。

「女に二言はありませんわ!今から申し出に行きます!」
「ナ、ナンさん!」

 宣言をされたナンさんは突風の如く、部屋から出てしまわれました。目を血走りさせた彼女はもう誰にも止められない…なんて諦めてはいけません!私は急いで彼女の後を追いました…。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

「え?元の世界に帰して欲しいですか?」

 私の願いを耳にしたエヴリィさんは鳩が豆鉄砲を食うような表情をされました。

「はい」

 そう一言、私は答えます。今、私はナンさんと一緒にエヴリィさんの元へと訪れました。ナンさんが暴走された後、急いで彼女を追いかけまして、なんとか説得してはみたものの、彼女は聞く耳もたずで、陛下の元へ行こうとされました。

 実際、陛下にお時間を頂く事は無理な話であり、私はエヴリィさんの元へ行く予定でしたので、その旨をナンさんにお伝えをしました。私の召喚をした彼に今度は元の世界へ帰してもらうお願いをしたかったのです。ナンさんはエヴリィさんを絶対に止めると言い、一緒に彼の元へ向かったという訳です。

 エヴリィさんはとある執務室でオールさんと一緒にお仕事中でいらっしゃいましたが、私の申し出に時間を取って下さいました。まさかこのような話だとはお思いにはなりませんよね。驚かれて当然です。

 私の横でヒシヒシと何かを訴えるような鋭い視線をエヴリィさんへ送りつけているナンさんに、私は気付かないフリをします。オールさんの様子は何処となく反応を目にするのが怖く、目に映し出せまでした。

 …………………………。

 エヴリィさんの口が開かれるまで、永遠のように時を長く感じました。そして…?

「誠に残念ですが、私には沙都様を元の世界へとお帰しするすべを存じておりません」
「え?」

 今度は私が我が目を疑うように驚きます。今、エヴリィさんはなんと…?

「ですが、私を召喚して下さったのはエヴリィさんですよね?」
「確かに沙都様をこちらの世界へと導いたのは私ですが、だからと言いまして必ずしも、お帰しするすべを知っている訳ではありません」

 狼狽える様子もなく、エヴリィさんは淡々と答えられます。まるで当然といった様子に違和感を覚えますが…。

「え、あの、でしたらゼニス神官様でしたら、ご存じなのでしょうか?」
「神官も存じていないかと」
「え?」

 そ、そんな事ってあるのですか?召喚魔法が使えるのですから、そちらの逆を行えば良いのではないのでしょうか。私は魔法の事は全く分かりませんので、実際はもっと複雑なのかもしれませんが、こうもハッキリと言われてしまうと、腑に落ちません。

「あ、あの!以前の天神の方はどうなさったのでしょうか?」
「当時の王太子とご結婚をされ、王太子妃となりました。その後はこちらの世界で生涯を終えたそうですよ」

 なんとまぁ、物語のようなストーリーを歩まれた訳ですね。と、感心している場合ではありません。私は妃にはならないと決めましたし、残れと言われましても…。

 …………………………。

 私の困惑にひとしきりの沈黙が続きますが、それを破ったのはエヴリィさんでした。

「沙都様、こちらの都合で召喚をしておいて誠に勝手ではありますが、どうかこちらの世界で残りの人生を歩む事をお決め下さいませ」

 そこで何故かエヴリィさんはオールさんを一瞥され、オールさんは微かに目を細めました。

「申し訳ございませんが、少し私は席を外させて頂きます。これから行う仕事の資料を集めなければなりませんので」
「え?あ、あの…」

 有無を言わさずといった様子で、エヴリィさんは颯爽と私の横を通り過ぎ、そのまま扉を開けて部屋を後にされました…。

 …………………………。

 私は愕然として、その場に立ち尽くしていました。帰る事を前提としたお話でしたので、まさかの展開に、のっぴきならない状況に置かれて茫然とします。

「沙都様」

 耳の奥へと心地好く響く美声から名を呼ばれ、私は我に返ります。気が付けば目の前にオールさんの姿がありました。退魔師の格式ある制服を着用された彼は相変わらずの美丈夫で、一瞬にして目を奪われます。

「恐れ入りますが、お時間を頂戴して「沙都様ぁ~!!」」

―――え?

 真摯な表情で何かを言いかけたオールさんの言葉をなんの躊躇いもなくナンさんの言葉が覆いました。そして次の瞬間にはガシッとナンさんから抱き付かれておりました。

―――ナ、ナンさん!

「こんな事を申し上げては恐縮ですが、沙都様がこちらへ残る事となり、本当に良かったです!」
「ナ、ナンさん?」

 抱き付かれたと同時に、わんわんと泣きじゃくる彼女に、私は慌てふためきます。

―――既に私は残る事になってしまっているのですか?

 それにオールさんがいらっしゃるのをお忘れで?いつものナンさんであれば、私には目もくれず、オールさん一直線の筈ですが。それ程までに私の存在が彼女の中で大きくなっていたという事でしょうか。

 チラッとオールさんへと視線を泳がせば、彼は何とも言えぬ複雑な表情をされていました。言いかけたところで止めに入られ、その後、このナンさんの様子に声を掛けづらいのだと思います。どうしましょう。

「ナ、ナンさん、あのオールさんが」
「これから一生涯かけて沙都様にお仕えしますから、ご安心下さいね!」
「は、はい。あのナンさん、それでですね」
「あぁ~本当に良かった~!そうと分かれば、これから…」

 私が何か言いかけようとしますと、タイミング良くナンさんから言葉を重ねられてしまい、全く話が進みません。その内にオールさんは諦めたように軽く溜め息を吐かれ後、私達に背を向けられました

―――オールさん…。

 立ち去ろうとする彼に声をかけようとしましたが、ナンさんがいる手前で上手くかけられず、彼はそのまま部屋から去って行かれました。

―――オールさんは何を話されたかったのでしょうか…。





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system