STEP38「奏でる不穏の旋律」
――王太子の登場で本来の目的を忘れるところだった。
心をウットリとさせる流麗な舞曲が終わると、夢から醒めたような感覚が訪れた。そして現実が舞い戻る。目の前は豪華なお料理が置かれた丸テーブルとドレスアップをした人達で広がっている。
ワルツはパーティの合間に入る演出であり、頃合いをみてまた再開される。最初のダンス組はやり遂げた感に溢れ、とても満足げな様子だった。その達成感の嬉しさは見ているこちらまで伝わってきていた。ただ一人を除いては……。
――凄い汗だな、王太子。
遠目からでもゼイゼイと苦し気に汗がダダ落ちしているのが分かる。普通はあそこまでにはならないんだろうけど、王太子にとっては長距離マラソンをしたようなものだったんだろうな。
そんな彼を実に冷めた目で見ている人物が……。チェルシー様だ! 冷めているというよりも、格好が悪いとでも言うように明らかに蔑んでいる。いや、運動音痴な王太子からしたら、かなり頑張ったのだろうし、なにもそんな目で見なくてもさ。
――え?
王太子が気の毒でならないと同情の眼差しを送っていたら、人々の間を難なく華麗に掻き分け、王太子の前へと現れる男性がいた。
――ルクソール殿下!
使用人さんや侍女さんの誰よりも早く王太子の前へと駆けつけた殿下はサッと王太子にタオルを差し出す。なにか言葉を掛けているようだし、王太子を気遣っている様子が窺える。
――や、優しい!
そんな姿の殿下に私はまたもや全身が熱く痺れる。あんなにも素敵な弟君がいて王太子が羨ましいよ。って、そんな王太子と殿下のやりとりを睨みつけているチェルシー様、それは嫉妬ですか? そういう嫉妬って実に醜いですけど。
おまけに殿下の背後から腕を引っ張って王太子から離れさせたよ。おったまげ! 気付いてはいたけど、実に心の狭い姫君だ。殿下は驚き、振り返って王太子を気に掛けている。
そんな我が儘の姫が金魚のフンのように付き纏っている為、他の人達も気を遣っているのか、それとも単に話しかけづらくなっているだけなのか、皆、殿下から距離を置いている。
んな状況でも、チェルシー様から無遠慮に離れないのがサロメさんだ。職務の為とはいえ、ナイス! にしてもサロメさん、本当に片時もあの我が儘姫から離れず付き添いをしているんだ。
ガチ気の毒。能面の彼女だから内心ではどう思っているか誰にもわからないけどさ。まぁ、見ている限りではチェルシー様もサロメさんを邪険には扱っていないようだ。というか邪険に出来ない存在なのかな?
――う~ん。
今、チェルシー様は無駄に殿下にベッタリで、その分、殿下が彼女を見張っているわけで。グリーシァンもアッシズも彼女の行動を気にして目を向けている。下手な行動は出来ないかと思うけど、彼女が今後どう出るのか……。
――数十分後。
暫く経ったのだが、今のところ事はなにも起きておらず。チェルシー様を見張る以外、する事のない私はかなりしんどかった。女中の分際では豪華な料理に手を出す事も出来ないし。まぁ、神経を研ぎ澄ませているのもあって、空腹感はないけどね。
――♪♪♪ ~♪♪♪ ~♪♪♪ ~ ♪♪♪~
それから再び美しい旋律が奏で流れる。ワルツの始まりを知らせているのだろう。そこにチェルシー様が目を輝かせて殿下を引っ張る姿が目に入った。あれは一緒にワルツを踊ろうと誘っているとみた。
チェルシー様と手を取って踊る殿下の姿なんて見たくないってば! そう本当に声を上げて叫びそうになった時、思わぬ出来事が起こる。美な足取りで殿下へと近づく一人の女性が!
スタイルのメリハリを活かし、カットレースで飾った人魚の尾ひれのようなマーメイドドレスを抜群のスタイルで着こなす美しい女性。真っ白なサテンドレスの上で蜂蜜色の髪が軽やかに流れる。顔立ちもスタイルもあまりに完璧すぎて、その美しさは持て余す限り。
――え? え? 誰? あのド偉い綺麗な貴婦人は!
口をポカンとして驚いている間にも、美しい女性と殿下は舞うように軽やかな足取りでワルツの輪の中へと溶け込み、踊り始める。そして二人のあまりにも見事なステップは一際華麗で美しく、周りの空気を麗しい色へと変えていく。
ごく自然な流れで殿下と女性はダンスの中心へと入り、そんな二人の様子に皆が時を忘れたように目を奪われていた。一緒に踊る周りの人達からも注目を浴びている。んで、私はすっかり忘れていたチェルシー様をチラリ、きょわっ!
彼女は地団駄を踏んで悔しがっていた。素でいい気味だと思ってしまう。そんな彼女にサロメさんは透かさず彩り豊かなドルチェを乗せたお皿を渡す。甘い物を食べさせて少しでもチェルシー様の怒りを鎮静させようしているんだろう。さすがだよ、サロメさん。
チェルシー様もプンスカとしながらも、黙々とドルチェを口にする。視線は殿下と美しい女性のダンスをガン見していて、きょわいけどね。それにしても、あの貴婦人、誰なんだろう? 嫉妬すら吹き飛してしまう、あの見目麗しい殿下と釣り合いの取れている美しい女性。
「相変わらずシスル様の美しさにはウットリしますわね。あの抜群のスタイルで、お子様がいらっしゃるのですから驚きですわ」
「同感ですわ。あの美しさがあおりで、早くにフォンダント王子に見染められ、ご結婚をなされましたものね」
――なんですと!
王太子のスタイルを話していた貴婦人達から爆弾発言が。あの綺麗な女性、私とそんな年が変わらなそうなのに子持ちの既婚者ですって!
「ご結婚をなされる前は従姉弟)のルクソール殿下と仲が宜しく、よくお二人のワルツを目にしておりましたけど、変わらずお二人のダンスには眼福ですわね」
――おっと、殿下とあの麗しい女性は従姉弟同士なんだ。
どうりで人並みならぬ美しさが共通しているわけだ。私は(・_・D フムフムと、頷いて納得をする。んな血縁関係があって、しかも子持ちの既婚者に嫉妬するチェルシー様って一体、つくづく残念な心の持ち主で……。
――ハッ!
存在を思い出して我に返る。そしてババッと辺りを見渡す。
――あ、あれ、い、いない!? チェルシー様の姿が!
すっかり意識が別の方角へと行っている間にチェルシー様の姿を完全に見失ってしまった。一緒にサロメさんの姿も見当たらないよ、二人とも何処に行ったのさ!
殿下はダンスをされているし、グリーシァンもアッシズの視線もワルツへと向いている。誰一人としてチェルシーから目を離してしまっていた! 私は焦燥感に駆られ、胸がドッドッドッと大太鼓を叩くような音に打たれて汗が滴る。
――どうしよう!
完全に抜け落ちていた。チェルシー様、あんな子供っぽい行動ばかりしている様子を見せて、実は私や殿下達の目を離す隙を狙っていたのか。このほんの数分の油断が命取りを招いてしまったかもしれないのだ。
――ど、どうしたら!
酷い焦りに私の頭の中は錯乱とし、無造作に小走りしながら大間を回る。
「なにをそんなに挙動っているのかしら?」
――え?
突然、背後から甘い粘り気のある声が聞こえた。ワルツの演奏よりも鮮烈に耳に焼き付く声の主は……? 反射的に後ろへと振り返ると、光景がスローモーションのように、ゆっくりと映し出される。そして目にした人物に私は息を切って、目を大きく剥いた。
――チェルシー様!